-友達 5(本編最終章)-

イルミーネ国の物語

ー国王の狂気ー

暖炉の炎が煌々と、その白い横顔を照らしていた。

トトの部屋に入ったジュールは、その人物が誰かわかった。

「レイ」

レイは返事をしない。

先日、あのノートを見てからレイに対する印象が変わった。
いや、今まで誤解していたのだ。
この人は、トトではないと。

トトの形をしたトトでないもの。
そう考えていた。

レイは、暖炉を鉄の棒で突いていた。火の粉が舞う。

「見ればわかるだろう。強制的に排除しているのさ」
「焼いてしまったのか」

レイが暖炉にくべていたのは、薬だ。

「こうすれば、もう誰も薬に手を出せない」
「レイ、あなたは・・・」

「そのかわり、僕の意識がどうなるかわからないから、もしもの時は、あんたがトトを守れ」
「わかっている」

まるらしき人物が残した言葉。
「レイも眠っている間に消されるのが怖い」
トトらしき人物が書いた言葉。
「レイは消えたい、でも消えられない」

自分が消える…とはどういう感覚なのだろうか。
死にも匹敵する恐怖なのだろうか。
この世から自分の意識が消される。
私の思い出、私の愛した人たち、私という人間の思考、すべてが飲み込まれて無くなっていく恐怖。
考えただけでぞっとする。

お姉さんが言っていた。
「レイは女性が好き」
レイには、恋をした相手がいたのだろうか。
レイの言葉。
「望むものは手に入らない」
それでも、彼はトトのために消える選択を選ぼうとしていたのだ。
苦しみながら、酷く怯えながら。
トトに認められていない自分、拒絶されている自分。
そもそも勝手に引き出された挙句、否定されている事実を受け止めながら。

この人はとても冷静なんかじゃなかった。
見せかけだけで。
「僕は嫌われ者だから」そう言って自分の人生を受け入れていたのだ。
どうして、彼以外の人格が「レイが薬をやめるのを反対する」と言ったのか。
悲しい現実がわかってしまった。
やはり、この人はトトなのだ。
悲しいくらいにトトなのだった。

「あなたは、やはり私の兄だな」
「まぁ…そうかもしれない」

炎を突きながら、レイは呟いた。
この人と口喧嘩した後に妙な爽快感を覚えたのは、この人が私の兄だからだろう。

「おかしなもんだな。自分が元に戻るってのに、消えた後のことが考えられない。皆どうなるのかとか」
「私でよかったら、話し相手にはなるよ」

すると、レイはうんうんと頷いた。

「そうなると困るんだけどな」

と、言って笑う。

「皆も、トトを守りたい。家族だからさ」

一つの身体に無数の人格、それが家族。
一人ぼっちのレイの、トトの、家族。
かごの中の小さな子を守るために造られた、トトの家族。

「私も、弟としてその中に入っているといいけど」

その言葉にレイは笑みを浮かべた。

「あんたがトトのそばにいて、トトを守るなら」

揺れる炎の中で、私は本当の兄を見つけた。
愛する人を守ろうとする、私の兄の姿を。


その夜から…
ずっと、まるが出続けるようになる。
これはレイが下した決断なのか。

私は、もう一度考えてみることにした。




トトらしき人物が書いた最後のページの言葉。
「レイだって分裂してる」
私は、ずっとこの言葉が気になっていた。

再びノートを読んだ後、私はある結論に至った。
もちろん、専門家ではないのであくまで推測だ。


トトが現実から逃避しようとした時、意識に現れたのがレイだった。
だが、二人はあまりにも深く結合していたため、トトは「自分であって、自分ではない状態」に陥ってしまった。記憶の障害、感情の解離などがその傾向だと思われる。
さらに薬を飲んだことで、トトは意識から切り離され、レイが現れた。

ノートの初めに書いてあった、あの綺麗な文字の人物。あれは教師ではなくてレイだ。
だが、レイは本来トトとは正反対の人物。
行動・思考など、トトとは相容れないものが多すぎる。
だから、レイはトトを守るために、自意識を分裂させたのだ。
外から自分たちを観察する役目の「教師」。
自分の行動を監視しストップをかける「年上の女性=お姉さん」。
では、私の前に現れていたレイは?
彼は、レイの一部というより、レイそのものだ。
すべての誤魔化しを消し去った姿。
もっとも本来あるべき姿の彼だと思われる。

一方、まると、レイですら名前の知らない誰かや、きちがいなどはわからない。
けれど、きちがいに襲われる時のトトの行動や言動を見ていると、きちがいというのもトトの嫌な記憶の一部が人格化したものと思われる。レイが身体だけを操っていた頃のトト、乱暴な教師に殴られた頃の記憶と見て間違いはなさそうだ。
まるに関しては、私はトトが分裂したものと見ている。
まる以外に誰も私の名を「ジュージュ」とは言わない。
嫌な記憶をすべて分離させてしまったトトの姿なのかもしれない。
でも、まるはレイとも繋がっている。
だからなのか、レイがまるに人格を交代したままにしているのは。

私はこのまま、まるを見守ることにした。



ここは、バストール国。
イルミーネからの連絡が途絶えて久しい。
ただでさえ、冬を嫌っている国王のサングは少し前から不機嫌極まりない。

「王妃様、国王陛下が戻られました」

慌てて、身支度をして国王の居間にジュリエットが赴くと、サングは手足をだらりとさせてソファに横たわっていた。アルコールと煙草の匂いが部屋中に充満している。
国王が今までどのような場所にいたのかは明白であった。

「ああ、ジュリ・・・」
眠そうな表情のまま、サングは王妃を呼んだ。
「他のものは下がれ」
皆、渋々といった様子で部屋を出て行く。

一人残されたジュリエットは、そっと夫のそばに寄り添った。
「今日、オレが何をしたかわかっているか?」
呂律が回らない舌で、サングはジュリエットの耳元に呟く。

「いけません・・・!」
内容を聞いたジュリエットは誰かを呼ぼうと立ち上がったが、すぐに腕を掴まれて、床に押し倒された。

「オレが何を飲もうと、どんなものに手を染めても、何も変わらないんだよ。何もかも!」

深い蒼の瞳が濁っている。深海の闇のように。
ジュリエットは、夫の瞳の中に狂気を見た。

「あいつは戻ってこない」

サングは何をするわけでもなかった。
ジュリエットの上に圧し掛かったまま、空を見つめている。

「昔、トトがいた。変な奴で頭がおかしかった。いつまでたってもおかっぱ頭で、ぼんやりした茶色い目をして・・・それがただ一人の友達だった」

だが、いつからこうなったのか。
子供のサングは、暗い部屋に閉じこもっていた。
たくさんの壊れ物が置いてあった。
すべて自分で集めたものだ。
誰にもこれ以上壊されることのない大切なものたち。
その中にトトもいた。
彼は、物ではなく、ここのもう一人の住人だった。
だが、昔から知っていた。
トトは、この暗い部屋にいながら、自分の後ろから差し込んでくる陽の光を見ていたことを。
あいつは、いつかここから出て行く。

いつしか大人になったサングは、この暗い部屋を忘れて、ジュリエットを見つけた。

「あいつがここにいない」

サングは自分の胸に手を当てて、ジュリエットに訴えた。

「あいつはどこだ?」

その瞳はジュリエットを見ていたが、同時に遠い何かを探しているようでもあった。

「トト様をお求めですか」
「いや…違う」

サングは、妻の胸に顔を埋めて息を大きく吸うなり、着衣を引き裂いた。

「あなた…」
「黙って抱かれればいい」


ーどうして、こうなったんだー
ートトがいない。この腕が届く場所から消えてしまったー
ーどこから間違ったー
ー青い空が見えていた。あいつの顔が近くにあって…。思わず突き飛ばしたー
ー友達に口付けをー
ーそれが正しいのならー
ーオレは間違っていたのかー
ー失わなくてもよかったー
ーこの世で、もっとも大切な人は友達ー
ーなにがいけない。なにが欠けているというのだろうー
ーどうして自分の半身とは永遠に結ばれないー
ー肉体さえ結ばれれば一つになれるというのなら、おまえを奪い返そうー

ー友達のままではいけないのなら…ー

薬の後遺症で頭が痛い。
酒と一緒に飲むと地獄の苦しみを味わえるという。
堕ちたくて、味わった。

大したことはない。
昔から、地獄の中にいた。
壊れものと汚いものの中にいると安心できた。
生まれた瞬間から、誰もに蔑まれて生きてきた。
最下層部の最悪は最高だ。
地獄から這い上がろうとするあいつを見つめていた。
あいつは言った。
その背には太陽が見える、と。
いつだって、オレの後ろには天国があった。
地獄の最奥が天国だなんて、あいつは知らない。

「ジュリ、おまえの中は天国だよ」

あの冷たい男に囚われて地上に這い出たトト。
なぜ、オレ一人を地獄に置き去りにしていった。

「…壊れていく。母上」

あの気が狂った母は、やはりオレの母だったのだ。
でなければ、こんなに狂ったりはしない。
トトがいないよ。
オレを見て笑い、オレを見て泣いた、あのトトがいないよ。
母上!


サングの口から血が吹き出した。

「あなた!」

舌を噛み切ったらしい。ジュリエットは慌てて布を夫の口元に当てる。

「ああ、ジュリ。オレは今なにをしていた?」
「…なにも」
「トトがいなくなる夢を見ていた。あいつはオレの友達なんだ。わかるだろう?」
「…ええ」
「ジュリ、どうして泣いているの?」
「なんでもありません」



バストール国王は、表向き正気を保っていた。
前と同じように大きな声で笑って傍若無人な態度で振る舞い、まわりを困らせていた。
しかし、時折ぼんやりとイルミーネ国を見て、囁いた。

「おまえの望む形は何だ…」

続く

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