-イルミーネの国王5(本編第1章)-

イルミーネ国の物語

―影―

深い暗闇の中にいる
目は開いていても 何も見えない 聞こえない

底へ 底へ と落ちていく感覚

世界が縮んでゆく

ちっぽけな箱に入っている私は わずかに出来た裂け目から
世界を見る


ほら あれが現実だ



「なんということ!」
部屋に高い声が響いた。

顔を引き攣らせたリーチェ公夫人は、今にも卒倒しそうなほど激昂している。
「この王太子は、国を恥さらしにした!」
「恐れながら、リーチェ公夫人。もはや、このお方は国王陛下でございます」
リーチェ公夫人は、セバスチャン・デティオールをキッと睨みつけると、ベッドの上にしゃがみこんでいるトトの肩を掴んで揺さぶった。
「あなたは…あなたは!ご自分が何をしたかわかっているのですか!!」
リーチェ公夫人の真っ赤に腫れた目がトトを捉えたが、トトの瞳は地の底を見つめたまま動かない。

「こんな…無様な戴冠式は初めてです!イルミーネ国は貶められました!」
涙を振り払いながら、リーチェ公夫人は悔しさを滲ませた。
国の威信を第一に考える彼女からすれば、今回の事は死に値するほどの屈辱であろう。

「聞いているの!あなた!」
トトの方を振り返り、鋭い声を飛ばす。


トトは目を見開いたまま、肩で荒く息をしていた。
ひゅーひゅーと肺の音が、直接外に漏れる。

心臓が止まりそうだ。
息が出来ない。

父上と同じだ。

私も父上と同じように死ぬのかしら?

そうなりたい。
早く死んでしまいたい!

このような思いを味わうくらいなら。
このような恥を背負って生きるくらいなら。

死んでしまいたい。

「リーチェ公夫人おやめください!陛下は今ショック状態にあられるのです。
安静にしていただかなければ、今後に関わる!」
セバスチャンがリーチェ公夫人の肩を掴んで引き離した。
「お放し!セバスチャン!臣下の分際で無礼であろう!」
パシッと、部屋に乾いた音が響いた。

セバスチャンは叩かれた頬を気にする様子もなく、佇んでいる。
「リーチェ公夫人・・」
「不快です!大変不快です!」
リーチェ公夫人はそう言うと、高い踵の音を鳴らしながら、部屋を飛び出していってしまった。



トトは相変わらず、荒い呼吸を繰り返している。

息が出来ない。
目の前が段々暗くなる。

手足が、どんどん冷たくなってくる。

ショック状態なんて嘘だ。

私は死ぬんだ。


「母上」
もうすぐ会える。

「父上」
迎えに来て。


「陛下!お気をしっかりなさってください!」
空中に浮かびかけた意識を、再び地上に引き戻したのは、セバスチャンの声だった。

「あなたは大丈夫です。今は動揺なさっているだけ。お身体に何の心配もございません!」

身体に何の心配もない?
どうして?!
早く死にたいのに!
どうして!!

きつくつぶった瞳から、涙が零れ落ちた。




耳の奥の方から声が聞こえる。

-この恥さらし!-
-戴冠式を思い出せ!-

-公衆の面前で 悲しい声をあげた自分を思い出せ!-

-新国王陛下  恥さらしの国王陛下-

-幾人がおまえの涙を 泣き顔を見 おまえの声を聞き おまえの正体を嘲り笑ったことか-

「やめて…」
咄嗟に耳を塞ぐが、直接語りかける影の声は止まない。


-父上と母上に見せるはずだったのだろう りっぱな姿を-
-お飾りをいっぱいつけてね  ってさ ねぇ トト-

嘲笑う声が、頭中に響く。

-それがどうだ おまえの曝した正体は-
-それがおまえの正体だよ-

-弱い 弱いトト-
-強いと思っているのは おまえだけ-
-所詮 父と母に守られて力を振りかざしていただけの ただの子供-
-おまえの正体に皆 気づいてしまったよ-
-皆 おまえを見放すよ-

「そんな事ない!私はっ!」

-そうじゃないか 汚いおまえ 冷たいおまえ-
-父が 母が 死んだ時 涙の一つでも流したか?-
-陽気に笑って 葬式の準備をして-
-何も感じない おまえの心-

「ちがう!ちがう!」

-よくわかっただろう おまえの正体-

-そう、おまえが母上を殺した の さ -

「いやだ…」

-おまえの我侭がなければ 母上は死ななかった-

「ちがう」

-母上が死んで 苦労を背負った父上も死んだ-

-おまえが殺した!-
-実の両親を殺した!-
-おまえが殺した!-
-おまえが殺した!-

「いやだー!!」
堰切るような叫びと嗚咽。
「いやだ、いやだっ!!」

「陛下!」
何かから逃げるようにして、ベッドから転げ落ちたトトを抱きとめた臣下の一人は、その肩の小ささに驚いた。数ヶ月前に自分を射すくめることができた王太子は、自分の子と同じくらいの身体をして、震え、泣いていた。

「陛下・・陛下・・大丈夫、大丈夫だから・・」
自分の子をあやす様に、10歳の子を抱きかかえる。

この子は…我が子と変わらぬ歳の、この子は、両親を一度に失い、重すぎる王冠を背負わされたのだ。
「大丈夫だよ」
「ううう・・」
「もう、大丈夫だよ」
目を見開いたまま、ガタガタと震え、荒い息を繰り返す子供に何度も語りかける。

「セバスチャン、この子にはまだ無理だ!・・こんなに小さいのに、かわいそうに・・」
だが、彼の言葉はセバスチャンによって打ち消された。
「まだ・・ではない。もう、この御方は我らの国王陛下なのだ」
戴冠式を行った今となっては、もはや…。

セバスチャンは冷たい瞳をトトに向けて言い放った。
「あなたはもう子供ではない。我らイルミーネ国の国王陛下なのです。
そのようなことでどうしますか」

トトは、臣下の手が離れていったのを感じた。
あのセバスチャンでさえ、自分を見放そうとしているのだろう。

たぶん、もう・・信じられるものは何もない。
守ってくれる存在もいない。



「私は、大丈夫だよ」
荒い息の中で、その一言を言うのが精一杯だった。

この瞳には、もはや何の色も映らないのだろう、この先も。
続くのは、永遠の暗闇。




どこからか聞こえてくる音楽。

父上が、時折弾いていた”ユーモレスク”だ。
長く細い指が奏でる、家族の音楽。
そばで、母上が紅茶を持ち、静かに聞いている。


私の姿はどこにある?


目を開けると暗闇が迫ってきた。
ここは、国王のベッドだ。
四方をカーテンが仕切っている。

まだ、周りは薄暗い。
青いカーテンがほんのり日に透けて、まるで深い海の中にいるようだ。

ここにいる限り、夢から醒めることはない。

何も見なくていい。

私一人の空間で…。


「母上…父上…」
誰もいない。誰もいない。誰もいない。

わぁ!と自分の声。
一度飛び出した嗚咽は止まらない。

あーあーあー

馬鹿みたいに、それだけをくり返し…
口を大きく開けて、泣いた。
赤ん坊みたいに。

影が、また囁く。

-情けないおまえ 恥さらしのおまえ-

「いやだ!いやだ!」
頭をかきむしりながら、声に抵抗する。

-無様な国王陛下-
-親殺しのトト-

「誰か殺して!私を殺して!」
顔を、腕を掻き毟って暴れた。
体中に赤い筋が刻まれていく。


「陛下、いかがされましたか?」
一人ぼっちの夜の帳は開かれた。

また、現実が始まる。


「今日から、私が陛下の教育を見させていただきます」
リーチェ公夫人は宣言した。
「それは・・」
横から声をはさんだセバスチャンに対し、リーチェ公夫人はキッパリと言った。
「お黙り、セバスチャン!そなたに手出しはさせない。この子は私の甥の子。
臣下に国を支配させはしない!」

セバスチャンは黙って下がるより他ない。

「この陛下は、かねてより間違った教育を受けておいででした。国王に相応しい帝王学を学んでいただかなければ、国を支配することは難しい。そのために私がここにいるのです」

その日から、リーチェ公夫人の教育が始まった。



まず、先王の行おうとしていた改革を否定する事。
王権とは、神より授けられた特権であり、使命である事。
それを否定することは、神に逆らう行為と同じである事。

なんて時代錯誤も甚だしい思考なのかと、トトは思った。
世界は、もうそのような考えを捨てているというのに。
だから、イルミーネは他国に遅れをとってしまったのだ。

トトには、父と母に教わってきた考えがある。

「父上の目指していた国は、そのような国ではない」
トトの反論に、リーチェ公夫人は頬を歪ませた。
「あなたの考えは間違っている。その考えは、あなたの母が国王陛下に植えつけたもの。
本来の王族の考えとは相容れません」
「ちがう!国を改革に導くのは父上のご意思だった!」
「あなたは間違っている!」
「何も知らないくせに!」

いきり立つトトを目の前に、リーチェ公夫人は大きな溜息をついた。

「まぁ、いいわ。これから、陛下には、しっかり国王としての心得を学んでいただきます」
そう言うと、リーチェ公夫人は背後から一人の男を招いた。

「この者が、今後、陛下の教育係となります」
見るからに、筋肉質でガタイのいい男は爽やかな笑みを浮かべて、トトに頭を下げた。
「これから、国王陛下の教育係を勤めさせていただきます。マルキス・ドードリッシュと申します。
新国王陛下の教育係に任命された事を誇りに思い、一命をかけて勤めさせていただきます」

優しそうな人だ、とトトは思った。
リーチェ公夫人がこのような人物を選ぶとは驚きだ。

「厳しく教育するように」
と言い残し夫人は立ち去った。

この人が、父上のような人であるといい。
優しく頭を撫でてくれるといい。


次の日、教育係が始めた授業は
「前国王の考えを変えた王妃を否定する事」
だった。

王族以外の人間を、同じ人間として扱わない事。
それが王の威信を高めるものだと彼は語った。

トトは絶望した。
味方になってくれるかと思っていた人が、実は夫人の手先だったのだ。
ほんの一部でも期待した事を後悔した。

しかし、この者も命令で動いているだけなのかもしれない。
そう思うと、彼を好きになれそうな気がした。

だが、
「陛下が支配される国は、すべて陛下のものです。力なき者、身分低い者は、この国にとって有益にはならない。かと言って、そのような者もいなければ国はなりたちません。その者たちを抑えるために、王の威信が必要なのです。つまらない声をあげさせないためにもね」
教育係は腰に手を当て、小さい国王を見下ろすように語った。
「それは、違う。父上はそのような者たちの声を聞くために、民衆中心の議会を開こうとしていたのだ。そのような者たちが、真に国を支えているのだと私は思う」
教育係を見上げ、トトがそう言うと、教育係の瞳の色がさっと変わった。

「前国王の考えだって?それが正しいとおまえは思っているのか!」
「えっ?」
突然変わった彼の口調に、トトは戸惑いを隠しきれない。

「オレの役目が国王の考えを変えることだと聞いているだろう?トト陛下!」
さっと彼が背後から出した物に、トトが気づく間もなく、バシッと音がした。

「痛い!」

皮製の鞭だ。
それがトトの両腕に振り下ろされたのだ。

「なんで?」
「理由は、おまえが言うことを素直に聞かないからさ」
「どうしてなの?」
「こっちの考えを認めて、頭を下げたら許してやる。そうしなければ、もっと痛い目を見る」

迷うことなどなかった。
「私は間違った事は言っていない!」

その途端に何度も鞭が振り下ろされた。
「…」
声なんか出したら、涙なんて流したら、負けだ。
絶対に負けない!
こんなことには。

ふと、その時
また影が囁いた。

-親殺しのトト-
-おまえには相応しい罰じゃないか-

「いやだ!」

トトの声を聞いた教育係は動きを止めた。
「どうだ、頭を下げる気になったか?」
歪んだ笑みを浮かべた口元から涎が垂れている。
「違う!おまえになんて謝らない。私は間違ってなんていない!」

何度も…数え切れないほど鞭が振り下ろされた後

「まったく、どうしようもないガキだよ」
吐き捨てるように言い、教育係は去っていった。


また、夜になった。
夜は恐い。

たくさん時間があるから。

現実は恐ろしい。
外には出たくない。

なのに、一人の夜はこんなにも恐い。

打たれた腕がじんじんと痛んだ。
袖を捲くって見ると、真っ赤に腫れあがっている。

「いたいよぉ」
実際の痛みよりも、自分の身体を傷つけられた事が痛かった。

母上が、父上が慈しんでくれた身体が、こんなにも悲鳴をあげている。
「いたいよぉ、いたいよぉ、母上」
誰も来なかった。
「いたいよぉ、父上」
誰もいなかった。

自分で、自分の身体を抱きしめ、泣いた。


また影の気配がする。
きっと、またこの心を襲ってくる。
そんな予感に怯えながら、夜の帳に一人震えていた。


それから毎日叩かれた。

時折、襲ってくる影の声。

粉々になりそうだ。


こんななら、心など死んでしまえばいいのに。
記憶など何もなければいいのに。

頭を強く打つと、記憶がなくなると知って、壁に頭を血が滲むほど打ち付けた。

馬鹿みたいだ。

何をしても、私が打ち砕かれることはない。

それを知った時、絶望はより深まった。

死ぬことも、狂うことさえできない。

私は・・。


その時間、また叩かれる。
私は、一言も発しない。もう発する事など何もない。
どうせ・・何を言っても叩かれるんだ。


リーチェ公夫人がこの事を知っているのかさえ、どうでもいい。
どうせ・・あの人も私を邪魔に思っている。


夜会の夜に人々が向ける視線も変わった。
蔑む様な瞳。嘲笑する声。

私は、笑い出した。
-愚かな 恥さらしの国王-
-親を殺したトト-

死ぬことも、狂うこともできない愚かな私。

笑いは止まらない。

「国王陛下いかがなさいなしたか?」
声をかける臣下は、口元に歪んだ笑みを浮かべている。
まるであの教育係のように。

皆、消えてしまえ。
私、消えてしまえ。


何回目の夜から、身体が言うことをきかなくなった。
夜会のたび、声も出なくなった。


リーチェ公夫人は、そんな私を無理やり夜会に連れ出した。

死んだように呆然と立っている私を、人々は見て、嘲けた。
「あれが、国王陛下だよ」
と言って。


私はいつの日からか、二番目の柱の裏側にあるカーテンで仕切られた小部屋に閉じこもるようになっていった。

夜会の中、自分を罵る声を聞きながら、私はずっと影の中にいた。



続く

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