二度とこの時間がおわりませんように・・・。
そう願ったのはいつの日のことだったのか。
辛い日々。
その最中で、忘れようもない楽しい思い出。
私の人生など、きっと他人から見たらつまらないものだろう。
でも、あの思い出だけは特別。
あの人だけは特別。
あの人こそ、私の命。
私の魂そのもの。
イルミーネの長い冬が終わる。
短い春の訪れを告げるのは、南国からの使いだ。
「バストール国王陛下は、二国間の会談を願っておいででございます。」
二国間の国王同士の会談は、毎年、イルミーネの深い雪が解け始める頃に行われる。
「こちらからは、いつもどおりと・・・伝えておくれ」
トトは、ゆったりとした面持ちで答えた。
「兄上、よろしいのですか?」
謁見を終えたトトにジュールが問いかける。
「いずれ、話さなければならないときがくるなら、いつでも同じだよ」
「・・・」
こうなったきっかけは自分なのだと、ジュールは唇をかんだ。
「誰のせいでもないよ」
トトの声がジュールには聞こえた。
「兄上!」
ジュールは、トトを抱きしめた。
どうしてもそうせざるを得なかった。
トトは・・・バストール国王サングとジュール、自分の親友と弟との諍いの中で、真っ二つに引き裂かれてしまったのだ。
そのために、自分まで見失い、壊れる寸前のところまで・・・。
「あなたを、あの男に会わせるわけにはいかない!」
「ジュール・・」
「やめてください!これは私個人の意見です。国も民もどうでもいい!あなたがこれ以上傷つくのを私は見ていられない!」
「ジュー・・・!」
次の国王になるようにと育てられ、何一つ間違ったことを言わないように生きてきた弟。
それなのに…。
「私は、大丈夫だ。大丈夫だよ」
トトは、ジュールの身体を強く抱きしめ返した。
「昔、あいつと本気で戦ってみたいと思ったことがある。だが、私たちがお互いに本気を出したら、二人とも生きていないだろう・・・とも」
楽しそうに、トトは言った。
「たとえ、戦っても分かち合っても、私の命はサンとともにあることには変わらない」
信じられないというふうにジュールは首を振った。
「私の魂の片割れに会いに行かなければ」
「そんな・・・」
馬鹿げている。
そういいたかった。
私は、この人を世界で一番愛している。
この人も、私を世界で一番愛している。
それなのに、それ以上の存在がいるというのか。
ジュールは、トトの背中を見つめ続けていた。
前へ、前へと進んでいってしまう、姿を。
2週間後。
イルミーネの馬車は、早くも蘭の花が咲き乱れるバストール国へ入った。
「ここの空気は、温かい」
馬車の中でトトの声を聞きながら、ジュールは自分が初めてバストール国へ来た事を思い出していた。
…あの時も、こんな風が吹いていた。
兄を王宮に置いて、自分は一人、バストール国へ逃げてきたあの日。
誰も味方がいないと知っていて、訪ねた場所で思いがけず居場所を見つけた。
ふと見上げた夜空に、トトの面影を探して…。
それなのに、再び出会った兄はバストール国王に連れていかれてしまった。
当時の私の手には何もなく、今も何も持っていない。
私の望みはただ、この何も持たない手でトトの手を握り、静かに暮らしていくこと。
トトは同じ馬車の中で、静かに外を眺めている。
あなたの心を占めているのが誰であれ、やはり、あなたを愛おしく思うのです。
初めてこの国に来た時と、それはどこか似た気持ちだった。
果てしない孤独の末に、心の落ち着くところを見つけた。
あなたの存在しているこの世の中を、私は憎み切ることができません。
父に捨てられた母の気持ちが今では痛いほどよくわかる。
しかし、私は母とは違う。正気を失うこともできない。
私には、私の愛する人々がいる限り、すべてを捨てきることはできないのだ。
ふと、顔をあげると目の前に座っているトトが微笑んでいた。
「私の心は、今、この国の空気よりも温かいよ。でも、魂の片割れには決着をつけないといけない」
「そうですか」
今、この馬車の中には、私たち二人しかいない。
トトはそっと手を伸ばした。
ジュールも自然に手を伸ばした。
二人はゆったりと掌を重ねた。
何も言葉はない。
お互いの気持ちが伝わってくる。
私たちはこんなに愛し合っていながら、別々の二人の人間だ。
トトの心の半分を占めるのは、かつて私を貶め、最後に残った絆さえも断ち切った男。
「話し合いが無事にすむように願っていますよ」
「…うん」
どうしてだか心が幸福に満たされていく。指先から、トトの温かさが痛いほど伝わってくる。
もし、これが愛というものならば、私はこの世で愛を知った数少ない人間の一人なのだろう。
憎しみ、悲しみ、絶望を、私は間近でいつも見てきた。
愛というものに振り回される人々を。
ジュールは、自分の中でなにかが終わったと感じた。
連綿と続く悲劇の歴史が、音もなく幕を閉じていったのだった。
残ったのは、目の前の人物の幸せを願う一人の人間。
あなたがあいつを魂の片割れというならば、私はあなたの魂を見守る存在になろう。
一番近くで、永遠に。
決して、一つになれなくても。
別の魂だからこそ、私はあなたを愛せるのだ。
かつて、私は自分の命などどうでもいいと思っていた。
でも、あなたが心を占めていくうちに、私自身、あなたを好きな自分を慈しんでいることに気付いた。
この命続く限り、そばにいよう。
「白亜の城が見えてきたよ」
トトの声に外を眺めると、白く輝くバストール国の城が見えた。
どちらともなく、重ねた手を離した。
イルミーネ国王が到着したとの知らせが、ここの国王に届くだろう。
トトは、自室として案内された部屋から外の空気を吸いに出た。
バストール王宮のことはよく知っている。
自分の家のことのように。
どうしてだろう。
今日は、昔のことばかり思い出す。
サンと初めて出会った森での出来事。
その後の、バストール国王の戴冠式。
初めて殴りあった時のこと。
二人で花咲く丘を駆け上ったこと。
パーティーで飛ばされて。
街に下りて、大暴れしたこと。
たしか、川辺の坂を二人で滑り落ちたのだった。
この時間が二度と終わりませんように・・・。
あの時見えた、サンの背中。
匂い。風。
サンといる時は、いつも風の中に二人でいるようだった。
外のものなど何も見えなくて・・・。
二度と時が進みませんように。
いつまでも二人で幸せにいられますように。
どうして、人間にはそれが叶わないのだろう。
そして、どうして、友達同士でそれを願ってはいけないのだろうか。
お互いいつか大切な人ができるから?家族を持たないといけないから?
何も変わらなければよかったのに。
ジュリエットもジュールも・・・。
私たちがお互いに愛している人たち。
いっそのこと、世の中に私とサンだけだったらよかった。
そう思うほどに、私の心は悲鳴をあげて引き裂かれそうになってしまうのだ。
おまえは同性愛者じゃないか、サンを愛すればよかったのに。
サンが友達でなかったら、ずっと二人でいられたんでしょう。
違う、彼は大切な友達。それ以上でもそれ以下でもない。
どうして、このままにしておいてくれないの。
ジュールを愛していないの?
身体の奥から、彼が欲しいよ。
彼の全てが欲しいよ。
嘘じゃない。
でも、だからと言ってサンは、恋人より下なんかじゃない。
私の魂そのものなのだから。
誰が、友達は恋人より下だと決めたんだろう?
そんな言葉で割り切れるなら、その人は愛を知らない人に違いない。
人間の心を知らない人に違いない。
私たちの関係に名をつけるとしたら”友達”なのだ。
世界で一番の友達なのだった。
考え事をしながら歩いていたら、陽の光が身体中を照らしていた。
いつの間にか、正面バルコニーのほうへ来ていたようだ。
・・・・
あまりの眩しさに、手で瞼を覆う。
陽の光そのもののような白い床が見えて、その先に虹の色をした庭園が見えた。
昔、この庭園を走った。
太陽そのもののような友達と。
あの庭園を抜けると、花咲く小高い丘があって…。
そこで、笑われたっけ。
思いっきり殴りあって。
あの時は痛かったはずなのに、今では優しい思い出の一つになっている。
あれから…もし、選択が違っていたら、私たちの関係は変わっていただろうか?
ジュリエットさんもジュールもいなくて、私たちは。
たしか、一度、キスをしようとしたことがあった。
あの時に…そうしてしまったら、こんな想いを抱えることはなかっただろうか?

私たちは…どこで…、選択を違えてしまったのだろう。
ふと、花の香がかすめた。
隣に、いつの間にか温かい人がいた。
白い石垣の上に乗せられた褐色の手。
私は、ずっとこの人の存在に惹かれ続けてきた。
振り回されて、時には殺されるかとも思い、命がけで一緒にいた。
今の私がいるのは、サンのおかげだ。
だから…
もう一度、時を戻せたら…
もう一度、あの時に。
私たちは最初から、生き直すことができるのかもしれない。
トトは、顔を上げた。
そこには、だいぶ背が高くなった友人の顔があった。
友は、何もいわなかった。
何もいわず、そっと瞼を閉じた。
トトも瞼を閉じる。
・・・・
「うげっ!!」
「き、気持ち悪っ!!」
顔を近づけた二人は生理的な気持ち悪さから、次の瞬間、お互いを突き飛ばしていた!
「お、お、お前っ!なにしようとしてんだ!」
「そっちこそ!!」
青ざめたまま、どちらともなく、「ぷぷっ」と笑いが漏れる。
「気持ち悪い!気持ち悪い!」
「やっぱり無理だ…こんなの!」
サンの笑顔、けたたましい笑い声。
トトの笑顔、涙浮かべて申し訳なさそうに笑う姿。
ああ、あの時と何も変わらない。
これでいいんだ。これがいいんだ。
何もなくしてない。何も変わってない。
変えられるわけない。
私たちはこうなのだ。
恋でも愛でもない。
そんなのどうでもいいことだった。
「おまえとは、ずっと昔から運命の友達だったよな」
「そう、ずっと前から…生まれる前からの友達だった」
この先、命が尽きても、この人のそばに生まれるだろう。
引き離せない運命の輪がこの魂をつなぎとめている。
何度生まれ変わっても、私はこの人の友になるだろう。
「ここにおいででしたか?」
「王妃様…」
ジュールがバルコニーに出た時、背中越しに声をかけてきたのはジュリエット王妃だった。
「あなたも、私も苦労をしますわね」
どこか可笑しそうにそう言うジュリエット。
ジュールは、首を振った。
「私は、ここであの人を見守るだけです」
眼下の七色の庭園をトトとサングが笑いながら走っていく。
昔と変わらない。
私は、遠くで見守るだけだ。
「私は、あの人を迎えに行きます。あなたもご一緒に行きましょう」
差し出されたジュリエットの手を見つめたまま、ジュールは呆然としていた。
「…あの人は行ってしまいました」
「あの小鳥たちには、帰るべき場所があるのよ。あなたと私の腕の中にね、アルキュード候」
ジュールは、目を見開く。
この人は…、私とトトのことを…。
「あなたの腕を求めている方がすぐそこにいるのに」
「…」
「愛は悟ることでも、戦うことでもないと…私はずっとそう思っているのです。
二人で道を見つけていくのも愛じゃないかしら。この先、長い道のりを一緒に生きていくのだから」
「私の手は届くだろうか」
手を伸ばしても掴めない。いつだってそうだった。
「もう届いているわ」
残されたものはジュリエットの言葉と、花の香。
・・・・
「あなた。そろそろ臣下の方々がお集まりになりますよ」
「おう!」
サングはジュリエットの姿を見つけて、ボサボサになった髪を両手で整えた。
「んじゃ行くか」
「うん」
トトもボサボサになった髪を整えようとして、指先が誰かの手に当たったのを感じて、振り向く。
「あれの髪は手櫛でいいかもしれませんが、あなたの髪はちゃんと梳かさないとね」
「あ!何言ってんだ!?」
文句を言ってくるサングをジュリエットが止めて、微笑んだ。
「ジュール…」
「お迎えに上がりました」
準備良く、ジュールは櫛を持って立っている。
「ありがとう…」
もじもじとそう言って、トトは続けた。
「今回の会議には、ジュールも参加してほしい。さっき、サンとも話したんだけど…」
「トトがどうしてもっていうからなんだぞ!」
いきり立つサングを宥めながら、ジュリエットは「さぁ、もう行きましょう」と促した。
二人の姿が消えてから、七色の庭園でトトはじっとジュールの手を握った。
「遅くなってしまったけど、私のそばにいてほしい。だって…ジュールは面白いから!」
「??!!」
「自分でもよくわからない」
真顔でトトがそういうものだから、ジュールは吹き出した。
「それは…私もあなたを面白いと思いますが。それなら、私から言わせてください。
あなたはとても面白いのでそばにいてほしいのです」
「プっ!」
今度はトトが吹き出す番だった。
なんだこんな簡単なことだったんだ。
誰かと一緒になるのは。
これからのことは、これから考えればいい。
だって、これから長い時間が私たちにはあるのだから。
これからの物語は、「そして…」
その続きになにが待っているのかは、まだ誰も知らない。

おわり
・・・
「やっとここまで書き終えた」
トトは、ほぉ…と息を吐いた。
「ふーん」
ジュールは、カップに紅茶を入れてそれをトトに差し出す。
「まずは一息」
「ありがとう」
「ここからの物語も書くつもりですか?」
「いいや…いいや、恥ずかしいから、読者の考えにお任せするよ」
「ふーん」
ジュールは、また半分笑ったような感心したような声を出した。
「書いてほしいのかい?」
「できれば…読者の思うままに美しく想像してほしいものです」
「とんでもなく、Hな想像になるかもしれないんだよ?!」
「じゃあ、書けばいいじゃないですか」
「いいや…」
トトが首を振ると、ジュールは「足りないなぁ」とつぶやく。
「どうしても、ジュージュは私を官能小説家にしたいのかい?!」
「なにも、官能とは言っていない!」
ジュールはプッと吹き出した。
「ただ、あなたがどういう結論を物語に持たせるのか…そこが気になってね」
「…ただ、私は今とても穏やかで幸せな気分だよ。書き終えたし。それに…物語は終わってないからね。
私が生きている限り、続くのだから…結論なんてないんだよ。はじめから」
「私たちが一日一日を紡いでいく人生そのものが物語」
「そういうこと」
トトは、開けようととした窓に手をかけたが、そのままにした。
(トトの想像では、小説を書き終えるのは朝日が出ている爽やかな朝のはずだった。が、今は夜中だ)
「まったく、現実は小説よりも奇なりって…思ったように進まないものだよ。私がこれを書き終えるのは10年くらい前のはずだった。しかも誰もが涙するような感動に包まれた最終回だったはずなのに、なに?「面白い人だから」…とかさぁ!」
「いや、よく書いたと思いますよ。事実じゃないか」
「こ、ここまで物語引っ張って、「面白いから」って?!自分でもどうかしていると思うよ」
頭を抱えたトトの隣で、優雅に紅茶を飲みながら、ジュールは空を見つめる。
「…いいんじゃないかな?…「面白いから」で。それとも初めから感動的な物語に書き直しますか?」
「いや、これ以上のものは私には書けない。私には小説の才能がないんだと思う。
事実以外、自分が思った以上の出来事は書けないからね」
「最高傑作、ひとまず終わってよかった」
トトの頭に、ジュールは頬を当てた。
「これは、本当の物語だから。私が思ったことだけを入れたものだから…」
そうして、愛しい人のぬくもりを感じた。
「私にしか、きっと書けない物語だから。私を知るすべての人にこれを捧ぐ。
私の人生に触れてくれてありがとう」
END

