弥山に行くまでに、いくつかのお土産屋さんとアイスクリーム屋さんの前を通った。
「景色を見た後でアイスクリームを食べようね」
トトはニコニコとまわりを見回す。
この辺は紅葉公園と言って、秋は紅葉が綺麗な場所らしかった。
老舗の旅館などもあり、森の入り口には赤い小さな橋がかかっている。
「いい雰囲気だね」
「あ、あそこにも鹿が…」
古き良き日本の風情。
「絵葉書みたい…」
二人はさっそくロープウェイ乗り場へ行き、そこから弥山へ。
途中で一度乗り換えがある。
「ほぉ、乗り換えとは珍しい」
興味ぶかそうなジュールに、トトは尋ねた。
「ここから誰か乗ってくるのかな?」
「…道が…ないです」
「そっか」
どう見てもロープウェイしかない山の中枢だ。
つまり、乗り換えしか交通手段がなさそうだった。
弥山の一番上まで着いた時、しばらく考え込んでいるように見えたトトはやっとわかったように口を開いた。
「私はかつて、ここを舞台にした小説を読んだことがある気がする…」
「どういった内容で?」
「よく…覚えていないんだけど…人が殺された気がする」
「弥山殺人事件?!」
「ドラマチックな最後だったような」
「心中ものか?!」
ようやくたどり着いた場所で思い出したことが「人が殺された物語」だったとは…。
トトはぬぬっと頭を抱えた。
「こんな高いところから落ちたらそりゃ死ぬかもしれないけど…」
「ここは、弘法大師ゆかりの地だそうです」
看板を見て、ジュールがいう。
「弘法大師が付けた火がまだ燃え続けているらしい。兄上、これでなにか思い出せましたか?」 「弘法大師…やはり誰かが殺害された物語だった気がする」
「…そうですか」
弥山に対するトトの思い出は、「サスペンス」の域からは脱しないらしい。
ロープウェイの終点から少しばかり山道を登ると、弘法大師の火が燃え続けているお堂があるという。
「ここまで来たのだから、そこまでは登ってみよう。その上の展望台は行かなくてもいいや。明日のこんぴらさんがあるからね」
「本当に?」
「うん、私、今回の旅では無理をしないようにするんだ」
そういえば半年前ほどに、トトは山登りでひどい目にあったのだった。
友達のサングに誘われて、ハイキングに出かけたトト。
トトは自分の健脚に自信を持っていたので、山登りも簡単にできるものだと思っていた。
しかし、その前の日に、トトはしこたま酒を飲んでいたのだ。
翌朝、待ち合わせ場所についたトトは、親友の前で二日酔いを隠しつつ、山へと向かった。
その後は…。
「あの時に、山は健康体で登らないといけないって知ったんだよ」
トトはこむらがえりになってしまったのだ。しかも両足。
アルコールを摂取すると、体内の水分はアルコールを薄めるために減少してしまう。
そのため、急に運動をすると足がつってしまうことがあるのだ。
トトは半泣きの状態で帰ってきた。枯れ木を杖にヨボヨボ足を引きずって歩きながら。
もう、あの時の二の舞はごめんだ! トトはあれ以来慎重になった。
今回の旅でアルコールを控えるように心がけたのも、長距離をあるく可能性が高かったからだ。
「このくらいだったら大丈夫かな?」
ジュールの言葉にトトは静かにうなづいた。
少し歩くと、大きな看板の出ている広場に出た。
その看板にはここからの道のりが出ていたのだが、二人が同時に注目したのは看板ではなく、いきなり茂みの中から出てきた男!
「ハァハァ!」
激しく息切れをしているその男は、全身汗まみれで、Tシャツが透けてみえた。
かなり筋肉質で、体格のいい人物である。
二人は同時に同じことを考えた。
あの人は、トライアスロンか何かの訓練でこの山道を走り回っていたに違いない。
我々のような穏やかな観光客とは、目的が違うのだ…と。
「しかし、なぜあの人はあそこから出てきたんだろう?」
歩き出したジュールがふとつぶやく。
「それは、山を駆け抜けるのが趣味の人だからだよ、きっと」
トトは、やりきれないといった風情で肩をすくめた。
ああいう無理なことをする人もいるが、別次元の人なのだ…とでも言いたげである。
「しかし、兄上、彼の後ろに道はありましたか?」
「…茂みから飛び出してきたんだ。道なき道を走り回っていたに違いない」
「うーん、でも何かひっかかる」
「何が?走るのが好きな人ってだけじゃないの?」
「いや、彼の表情がね…妙に必死な感じがして」
「疲れていたんだよ」
「いや…それだけじゃなくて…なんだろう」
「クマにでも出会ったのかなぁ?」
イヒヒ、とトトが笑う。
「まさか~」
ジュールも気を取り直したようで、二カッと笑った。
まだつかないのかなぁ…もう、戻ろうかなぁ…。 と思ったころ、やっとお堂が見えた。
「はぁ、やっと着いたね」
二人は、お堂に入り、大釜が置かれている囲炉裏を見た。
「これがずっと燃え続けている火だね」
「弘法大師の付けた火か。よくぞ消えずに」
ジュールは感嘆の溜息をもらすが、トトは 「小説にこんな場所出てきたっけ?」 と、どうでもいい発言をした。(例のサスペンス小説のことである)
お堂のまわりで、しばらく休んで、二人はロープウェイに戻ることにした。
その日は日差しが強かったせいもある。暑いので無理をしないことにした。
「あとは下りだけだね!」
トトは軽快なステップでぴょんぴょん山道を降りていく。
「ここを降りたら、アイスクリームが待ってる!」
ジュールも足取り軽く歩いていった。
ところが…それから10分ほどたって、 ジュールがぽつりと言った。
「こんな立札みましたか?」
「あった気がするよ。だって、さっき飛び越えた大きな倒木のとこって、来るときに前を歩いてたおばさんが躓きかけたところじゃん」
「あ、ああ。そうだね」
立札には、紅葉公園← →展望台 と出ている。
ロープウェイは?
ジュールの脳裏に、一瞬不安がよぎった。
しかし、前を見るとすでにトトがだいぶ前を進んでいる。
「トト!待って!」
「先にいっちゃうよー!」
そうして、また5分ほど下った場所で、今度はトトが言った。
「こんな川…あったっけ?」
「…」
ジュールは立ち止ったが、そんなトトに声をかけてきた人がいた。
「若いあなたは、すごく早く道を下っているのね。うらやましいわ」
ハイキング姿の老婦人である。
「そんなことはありません!」
トトは、ニヤッと笑ってさらに飛び跳ねながら下り始めた。
「ま、待って!止まってください兄上!」
それから…8分ほど下った場所で、トトが立ち止っているのを、ようやく追いついたジュールは確認した。
「…こんな道知らない」
「やっぱり!」
トトは、ふっと上を見上げて
「今までだいぶ下ってきたよね…」
「これからは、登りになりますね」
かなり絶望的な表情のジュール。
すると、突然身体から汗がほとばしってきた。
気持ちが焦ってきている!
「落ち着け、私!」 トトは自分の頬を叩いた。
意外にもこんな時、ジュールのほうが冷静だった。
「戻ればいいのです」
彼の場合、そうするしかない、という手段しか浮かばないときは、いかに絶望的だろうと悲しかろうと冷静になってしまう癖が身についていた。
それを、別の言い方をすれば「あきらめ」という。
「問題はどこで間違えたかだよ」
ほぁぁぁ!と雄たけびをあげながら、今来た道をよじ登るトトの前に、若い女性が現れた。
「あの人も道を間違えたのだろうか?」
「とりあえず聞いてみましょう」
「あなたはどこに行くのですか?」
「言葉わかりません」
え?!
言葉の通じない国の人だった。
「ロープウェイ!ロープウェイ!ワタシ、ロープウェイ!」
トトが焦りのあまり怪しい言葉を発する。
「OH!ロープウェイ、この先、左」
どうにか意味が通じたようだ。
しかし、やはり我々は道を間違えていたようだ。
「登るしか…」 登り登り…。
考えたことは、なぜ私は下ってしまったのだろうという後悔。
あんなに早く下らなければよかった。 いい気になって下った分を取り戻してほしい。
今、ここに登りではなく下りの道を返してほしいものだ。
途中で、トトの足が悲鳴をあげた。
以前のハイキングでの古傷がよみがえってしまったらしい。
「休み休み行こう」
汗をぬぐいながら、ジュールがゆったりと登ってくる。
ジュールは、自身が兄よりも運動にむいていないことを知っていた。
だから、兄よりもいろいろな意味でセーブすることが身についていた。
山道を降りるときもゆっくり、登るときもゆっくり…。
(転ぶ可能性を低くしているともいえる)
そんなわけで、彼にはまだ体力が残っていた。
一方、トトはというと…。
「大丈夫だ!大丈夫だもんね!」
汗だくで、足を引きずりながらトトは「うぉぉぉ!」と山道を登っていく。
トトには体力を補うだけのファイトがある!
「帰るぞ!帰るぞ!ファイトー一発!」
こう…短慮を補えるものが上かどうかにトトの行動の結果はかかっているのだった。
ジュールは、こうしたトトの性格をよく知っていた。
それで今回も、兄が無理をしすぎないように気を配りつつ、反省もしていた。
「私がもっと早く気付いてあげていたら…」
「ねぇ、ジュージュ!」
また前を行くトトが、振り返りジュールを呼んだ。
「なんです?」
「もしかしたら、あの男の人。ほら、看板のとこに汗まみれで出てきた人。私たちと同じで道を間違えたじゃないかな?」
「あ、そうかもしれない!だから、あの表情…ほんとにもっと早く気付くべきだった!」
「私たちは大変なことを見逃していたね!」
これは、小説のネタに使えるかもしれない…と悠長なことを言うトトの後ろで、ジュールは頭を抱えていた。
汗だくの二人が、例の看板の場所に出たのはそれからどれだけだった頃だろう?
すぐだったかもしれないし、結構時間がたっていたかもしれない。
それを考える余裕など、二人にはなかった。
ただ、ただ…
「アイスクリームを食べようねぇ…」
「アイス…アイス…かき氷でもいい…」
もう帰りたい。
それだけ。
ロープウェイに着いたら着いたで、ある困ったことが起きた。
行きは、人数も少なかったので二人で乗っていたが、帰りはほどほど混んでいたので、相席だった。 しかも香水のきつい巨漢女性3人+巨漢の男性2。
きついとか暑いとか臭いとかいう前に、ロープウェイが落ちないかどうかが心配。
しかし、二人にはもう口を利く気力すら残っていなかった。
案の定、平地に戻った二人はすぐさまアイスクリームの店に直行。
そこは珍しいお芋を使ったアイスのお店だったが、店員さんの説明を聞くも、もうただ水分と糖分がほしいと身体が訴えているため、一番手前のものをチョイス。
「美味しい…」
やっと生き返ったトトがポツリという。
二人は、白芋のアイスを食べていた。
「こんなに美味しいものは初めてかもしれない…」
さっきまで牡蠣を堪能してたくせに、もう牡蠣の痕跡は身体のどこにも残っていないようだった。
「シャワーを浴びたいよ…」
「帰ったら、水風呂を張りましょう」
二人はお互いを見つめあい、頷いた。
二人ともぼんやりしていて、ロマンチックなムードなど皆無だ。
こうして、宮島の思い出が一つ増えた。

