-傷 5-

イルミーネ国の物語

数刻後。
再び、王宮の廊下を歩く僕がいた。
ただ、もうなんと言ったらいいのか、一人で突っ走ってしまって。
普段の自分を忘れて、相棒に暴言を吐いた。
何がそんなにさせたのか、自分でもよくわからなくて。
そうして、相棒の元へ帰ろうとしている自分もよくわからなくて。
まだ、いて欲しい。でも、いて欲しくない。
何を言おうと思っているのだろう。それさえも不明瞭なまま。
僕は、帰るところを探している。

部屋の前あたりまで来たとき、
突然、扉が開いて、金色の影がぶつかってきた。

「うわっ!」
「あ、ごめんなさい」

手で口元を押さえているくぐもったような声。

「セシリー・・・」
「マリウス・・・マリウス!」

セシリーは、自分の置かれた場所が僕の腕の中だと知ると、いきなり強い力で袖を掴んで叫んだ。

「あの馬鹿に伝えておいてよ!私は、あなたのためにいるわけじゃない、私は、あなたの存在を証明するための道具なんかじゃないって!!」

彼女のブラウスの胸元が常識以上にあいているのを見て、しかもそれが誰にやられたのかを理解して、僕は事情を飲み込んだ。

「落ち着いて、ください・・・」

予想以上の力で振り回されて、見下ろす位置にいる小柄な少女の肩を掴む。

「・・そういうことだから、伝えておいてね」

涙に濡れた頬のまま、恐ろしいほど冷たくで明瞭な口調で、セシリーは僕から離れてしっかりとした足取りで歩いていった。

「レオーネ」
「・・・なんだ」

先ほどと同じ姿勢で、テーブルの前に立ち尽くしているレオーネに声をかけた。
もう陽は落ちているのに、灯りもつけてはいない。
明るく赤い部屋は、青く暗い空間になっていた。

「泣いていたか」
「・・いや」
「私がやったんだ」
「そんなこと聞いてない」

「では、何で戻ってきた」
「悪いことを言った・・謝罪をしに」

「気にしてなんかいない。否定もしない。だってそれは事実だ」

暗い部屋の中で、レオーネがこちらを真っ直ぐ見ているのがわかった。

「セシリーが何か言っていただろう。たぶん、彼女の言った通りだ」

そう言って、レオーネは窓の外に顔を向けた。
そうして、僕が次の言葉をつむぐのを止めさせてしまった。

・・・

どうして・・・僕が誰かを好きになるだけで、こんなに苦しさが広がっていくのだろう。
僕は、身近な人を二人も傷つけてしまった。

人を好きになったり、思いやったりするのって、もっと素晴らしいものだとばかり思っていた。
そもそも・・・人を好きになるって、そんなに美しいものだったんだろうか。
アンナと出会って以来、僕は僕を見失ってばかりだ。
こんなに醜くこっけいな生き物は、他にはいないだろう。
僕は、彼女になにを期待し、なにを求めていたのかも、吹き飛んでいる。
胸に湧き上がるとめどない感情だけだ。


もう誰も巻き込むまい。

そう決意して、アンナの拘留されている場所へ向かった僕を待っていたのは、意外な人物だった。
それも、彼女と面と向かって話していたのだ。
アルキュード公が。

「アルキュード公・・」
「マリウス君。一つ、私にも言いたいことがあった。彼女に」
「私は、何もこれ以上言うことはありません」
「アンナ!」

ほんの一日しかたっていないのに、アンナは別人のようにやつれてみえた。
長い髪は重たそうに顔を覆っていた。瞼は重く、寝ていないようだった。

「もし、あなたが望むのなら、このマリウスを弁護にたててもいい。どうしますか?」
「いいえ」

首を振る彼女に、僕は言った。

「どうして?僕はいつだって、きみに・・・」
「これ以上・・・関わらないで。マリウス、騙していてごめんなさい」
「え?!」
「私には、ちゃんと想う人がいるの」
「そ、そんなんじゃない!」

そう、そんなのじゃない。自分のためなんかじゃない。

「あなたの馬車の持ち主は、グレー男爵だとわかっています」
「!!」

アンナの顔が変わった。
握り締めた拳が震えている。

「今回の事件と関係ない話をしましょう」
「・・・」

「あなたが真の持ち主の何を守ろうとしているのかは知らない。ただ、あなたの守ろうとしているものは、すべて何もあなたの手元には残らない」
「知っている」
「誰かを想うことは否定しない。だが、これはとても卑怯な関係だ。相手は一切何も失わないのに、あなただけが何もかも失う」
「わかっている」
「もし、あなたが彼の何かを手に入れようとすれば、彼は全力であなたと大切なものを捨てようとするだろう。それでも、彼を想い続けるのか」
「誰にも止められない。私にだってこの想いは」

僕は、アンナの心の悲しさを知った。
それは恋心というものじゃなく、悲痛な想い。
グレー男爵は、おそらく家庭も地位も捨てることはない。
すべてを彼女にかぶせて、自分は逃げおうせるつもりだろう。

「そんな卑怯者をかばう必要なんてない!アンナ!」
「マリウス・・」
「きみはもっといい人生を送れる人だ。そんな奴と一緒にいる必要なんてないじゃないか」
「・・・あなたは彼をわかっていない。彼はとても素晴らしい・・・」
「素晴らしい人がこんなことするか!」

「自分の惨めな立場を認めろ」

静かな声は、普段のその人と明らかに違っていた。
アルキュード公がどういう表情をしているか、ここからでは見えない。

「あなたの想う相手は、ただの最低な人間だ。責任感もなにもなく、あなたのことさえ女の一人としか思っていないだろう。そんな相手のために、怪我を負った誰かに嘘をつき続けて生きる。あなたにとっては美しい恋物語だろう。だが、被害者にとってこれほど馬鹿にした話はない。それと・・・ここまでやってきたマリウスにとってもだ。あなたは、自分勝手な思い込みで全ての人を騙し、傷つけて、それでも作為的な悲劇を演じ続けるつもりか!」
「・・・なんで・・・あなたにそんなことを言われるのよ!」

ここまで感情を露にするアルキュード公を見たのは、初めてだった。
でも、どうしてだろう。
僕は、二人の間に不思議な絆を感じていた。

「私は、これだけは言っておきたかった」
「自分だって・・・国王の私生児のくせにっ」

「アンナ!」

その時、すでにアルキュード公はドアを閉めた後だった。

「アンナ・・・」
「私だって・・・普通の人を好きになって、幸せになりたかった。でも、どうして・・・私だけが幸せになれない」
「アンナ、幸せになるためには・・・しっかり自分の足で立って、自分の目で見ないといけない。だから、もう終わらせよう。僕たちで終わらせないと」

僕は、アンナの手を握った。
そうして、今更ながら気づいた。この人が僕よりもずっと年上だって。
血管の浮いた手の甲は、ガサガサに荒れていた。

「僕の兄は、昔、冤罪をかぶせられて帰らぬ人になってしまった。誰もそんなふうになってほしくなくて、僕は弁護士になった」
「マリウス・・・でも私は・・・」
「無実の罪を着せるのも背負うのも悪いことだ。やり直そう」
「・・・ありがとう。でも、もう私はね、決めたのよ」
「・・・・でも」
「私に人生を選ばせて。お願いよ。いくらくだらない卑怯で汚い、誰にも憎まれる人生だとしても、これだけが、私があの人を愛した証なの。これしかないの私が私の中で残せる形ある愛は」
「わからないよっ!」

僕の中で浮かんでくる。
僕たち家族を守るために罪をかぶった兄の姿と、アンナの姿が。
アンナの想っている相手は、彼女に何も残してはくれないというのに。

「助けたいんだ・・・」
「マリウス、あなたといる時は楽しかった。本当に。だから、、、」

アンナの声が聞こえない。

「もっと前に出会いたかった。会いたかったよ・・・」

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