-傷 4-

イルミーネ国の物語

自分の魂まで持っていかれてしまう。
徐々に自分の存在感が薄れていく。
もう、彼女と僕の境がなくなっていく。
彼女の瞳に映る僕は、もはや一個体の抜け殻でしかない。

突然の嵐が、何もかもを根こそぎ奪っていってしまった。

嵐の名前を恋と言う。


アンナが連れて行かれた建物の前で、警備員の男と押し問答するはめになった。
レオーネが呆れたような瞳でこちらを見ているのはわかってはいたが、理性などとうに吹き飛んでいる。

「どうなっている!」
「まだお話しすることはできません」

その掛け合いを何度したことか。

「もういいか」
「レオーネ」

黙っていたレオーネが警備員に何か耳打ちするなり、警備員は神妙な表情で「しばらくお待ちください」とドアを開けたまま、どこかへ消えた。

「どうぞ、お入りください」

こうも簡単にいくものか?
進路を塞いでいた警備員はすっと引き下がった。

「レオーネ・・・これは」
「少し黙っていろ」

「右の3番目の部屋です。そこで立っている者に告げてください」

小声で囁くように呟いた後、警備員は何事も知らないような顔になり、僕たちから目を反らす。

「さぁ、行くぞ。許された時間は長くない」

レオーネの言葉に、警備員はコホンと一度咳払いをしてみせた。

・・・・

「アンナ!」
「どうして?・・・どうして来たの?」

取調室と呼ばれる場所が、いやに広く感じるのは、アンナが小さく細く見えたからだ。

「何があったんだ?どうしてって、聞きたいのは僕のほうだよ!」
「・・・」

アンナは、黙って顔をそらした。

「・・・いずれ・・・聞くと思うから、先に言っておくわ。私は、ある女性を馬車で引いて怪我をさせてしまった」
「きみが?」

この国の法律では、馬車で人を引いた場合、その馬車の持ち主が罰せられることになっている。
アンナが馬車を持っているとは・・・到底信じられない。
馬車を所有するということは、御者を雇い、馬を飼育して、馬車を預けられる場所が必要だ。
彼女の暮らしぶりでは考えられないことばかりだ。

「そんなわけないだろ!きみの、じゃなくて」
「いいえ、名義は私のものです。間違いなく」

以前、男に掴みかかられそうになっていた時と同じような押し殺した声。
僕が口を開く前に、壁際にいたレオーネが言葉を発した。

「誰かに脅されているのか?」
「違います!」

アンナの声が冷たい部屋に響く。

「違います!私の意志で、判断しました!」
「判断?では、あなたがやったわけではないと?」

相手を見下すような姿勢のまま、レオーネはアンナに問うた。

「あなたは、クレランス伯でしょう。マリウスから聞いています。この件になんの関わりがあるというのです。あなたに」
「アンナ。レオーネは一緒に来てくれたんだ。突然、きみが連れて行かれてしまったから」

アンナは顔を背けた。
レオーネからも僕からも。

「お願い・・・」
「大丈夫だ、きっときみの誤解を解いてみせる」

ところが、アンナは何かに怯えるような苦しい吐息ともに、言葉を吐いた。

「この件には、関わらないで」


それから数日後。

なにも出来ないまま、僕は鬱々と毎日を過ごしていた。
あの時、レオーネが自分の名前を使ってくれなければ、彼女に会えないままだった。
僕は、まだ手をこまねいている。

帰り道にレオーネは言ったのだ。

「もしも、こういうやり方をしようって提案をするおまえだったら、私は相棒を辞めてた」

レオーネは嫌だったに違いない。議員としての立場と貴族としての立場をそういった形で使うことが。
いつものように皮肉を込めながら、それでも僕のふがいなさを覆い隠してくれたのだった。

「マリウス君、どうかしたのですか?」

下ばかり見ていたら、いつの間にか前に人がいた。

「これは、アルキュード公」

・・・

「なるほど・・・そういうわけですか」

僕がアンナの話をする前から、アルキュード公は事情を聞き及んでいたらしい。
しかし。

「きみがどうしようと勝手だが、一つ忠告しておきます」
「え?」

アルキュード公のアイスブルーの凍れる瞳が、一瞬光ったように見えた。

「できれば、この件にもその人にも関わらないほうがいい。いや、関わってはいけない」
「なぜ?!」
「なぜ・・・。私のような思いをしたくないなら」
「・・・」

わからない。アルキュード公の言わんとしていることが。
何かを聞く前に、彼は白いマントを翻して、背を向けていってしまった。

「わからない。アルキュード公の言葉も、アンナの言葉も!」
「脅されているのではなければ、彼女は誰かをかばっている」
「どうしてそんなことする必要があるんだ!」

いつもの部屋が夕陽に染まって、窓の形をした長い影が監獄のように僕とレオーネの影に落ちていた。

「かばいたい・・・人だからだろ」
「なんだ、それ・・・」

アンナにそんな人物の影は見えなかった。

「おまえが知らないだけだ」

心を見透かすようにレオーネが言い放った言葉が、胸に突き刺さる。

「あるはずない」
「真実を知らなければ、彼女を助けることは・・」
「僕は、あなたよりもアンナを知っている!」
「だからって・・・」
「女であるあなたに、僕の気持ちなんてわかりっこない!!」

ガタン!

レオーネが椅子から立ち上がる音が、いやに大きく響いた。

「ごめん」

夕陽が赤茶色の瞳に反射して、余計に・・・。
たぶん。
レオーネ・クレランスという人を、幼い少女に見せていた。

どうしてだろう。
僕は、この小柄な女性を素手で殴ったような気分になり、そうして・・・逃げ出した。

言ってはいけないことだった。

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