―予感―
それから5年の歳月がたった。
「っ!…」
春の園に似合わない高い金属音が響く。
「トト、攻めてばかりではダメ!防御も考えなさい!相手からの反撃がくるよ!」
「はい!」
トトは10歳になっていた。
剣の腕もだいぶ上達しつつある。
それは師であるルイも認めていたが、トトは防御の精神に欠ける所がたまにキズだ。
無謀に相手に突っ込んでいく。
そして、一撃でも入れられると、とたんに型が崩れる。
「攻撃を受け流すこと。いったん退く事で相手をこっちの流れにのせることもできる」
ルイがアドバイスを与えるものの、
「しかし、私は完璧に勝ちたい!受け流すことも、退く事もしたくない!」
と反発してくる。
この強気な性格は自分似だろうか、ルイは思った。
そういえば、同じような会話をマクシミリアンとしたことがある。
その結果、自分はジュニアの大会で優勝できたのだっけ…。
真剣にこちらを見つめてくる息子の顔に、自分が映った気がした。
「母上、もう一度…」
トトがそう言いかけた時、
「大変です!国王陛下がっ!」
女官が叫びながらこちらに向かって来た。
「国王陛下がお倒れになられました!」
「父上がっ?!」
「え!」
ルイが、続いてトトが走り出す。
国王マクシミリアンはもともと心臓が弱かった。
これまでも、何度か発作を起こした事がある。
最近の国王のスケジュールは過密すぎた。ほとんど寝る暇もなかったほどだ。
やはり無理がたたったらしい。
二人が国王の寝室の前に着いた時、部屋の外では国王付きの医師達がバタバタと動き回っていた。
「父上!」
トトが扉を開けて寝室に入る。
続いてルイが進み出ると、一人の貴婦人が行く手を塞ぐかのように立ちはだかった。
「王家の血筋の方以外の入室は認められていませんよ」
貴婦人…リーチェ公夫人は国王の伯母だ。
マクシミリアンの改革を阻む門閥貴族右派を纏め上げているのは、彼女だった。
だが、彼女は国王に逆らっているとの思いはまるでなく、むしろ誤った考えを植えつけられていると思われる自分の甥を心の底から案じていた。
そして、その考えを植えつけたのは、王妃ルイであるとの考えを強烈に抱いていたのだ。
「私は王妃です。そこをどきなさい!」
扉の前でルイの怒声が響く。
「王妃だとしても、貴女に少しでも王家に繋がる血が流れているとでも言うのですか?」
―私は卑しい生まれのおまえを王妃だなんて認めない!―
リーチェ公夫人はわざとらしいほど静かな口調のまま、ルイを見下げて鋭い視線で訴えている。
「しかし、私は彼の妻です。息子が入れて妻が入れない理由はないでしょう。どきなさい」
ルイは前に立つリーチェ公夫人を押しのけて、扉を開けた。
「まぁ、この王妃は国のしきたりまで無視なさる。それより下の者には厳しく言っておかねばね。決して王妃のような真似はしないようにと」
聞こえよがしに自らを嘲る声を聞きながら、ルイは部屋に入った。
「マックス!」
先に入ったトトが父の横に付いて何かを話している。
「ああ、ルイ。心配かけて悪かったね」
こちらを振り向いたマクシミリアンはあいかわらずの笑顔だったが、青白い顔色が表情とは違う彼の状態を表していた。
「容態は?」
「まずまず落ち着かれたところです」
医師は答えた。
「ああ、よかった」
ルイは一息ついた。
「父上、大丈夫?」
顔を近づけたトトにマクシミリアンは
「大丈夫だよ、トト」
と答え、頭を撫でた。
しかし、息子を撫でるその手は血が通っていないほど冷たい。
「本当に大丈夫?最近無理しすぎていたからじゃない?」
ルイが不安げな顔を見せると、マクシミリアンは困ったように笑って言った。
「ま、大概スケジュール通りにはいかないから大丈夫だよ」
「だから、心配なんじゃない!」
「ごめん、でも本当にもう大丈夫だ」
今にも掴みかかりそうなルイを制し、トトをそばに寄せた。
「よかった、父上…」
父の腕の中で安らいだ表情に変わるトト。
「…」
そんな様子を見ているルイの表情も幾分か柔らかくなった。
少し前までは、恐ろしいほどの形相で目を赤く腫らしていたのに。
「さぁ、もう御身体に障りますので…」
医師が二人を遠ざけた。
「父上…」
部屋から出ると、トトはまた不安げな表情に戻った。
「大丈夫だよね…」
「大丈夫よ」
そう言うルイの表情にもまた陰りが見える。
マックス…
父の寝室を振り返る母を、トトは一層心配そうに見つめた。
・・・・・・・・・・・
夜更け…
外の世界には肌を切るほどの冷たい風が吹いているが、国王の寝室は一定の温度が保たれている。かすかに窓の隙間から入り込んでくる冷気が、灯りを揺らしていた。
「セバスチャン・デティオールか…」
そばに控える者の名をベッドの中の国王は呼んだ。
「はい、陛下」
「今月は…」
「はい、滞りなく」
二人の間には蝋の灯りが一つ。
まわりは部屋の広さがわからないほどの暗闇だ。
「あの子は…」
「順調にお育ちになっておられます」
「そうか…」
そして、しばらく沈黙した後、マクシミリアンは口を開いた。
「僕の身にもし…万が一の事があったら…セバスチャン、あの子を頼む」
「陛下っ!そのような…」
セバスチャンは、不吉な予感を憶えて、言葉を濁らせた。
「頼む、セバスチャン。おまえしかこの事は知らない。お願いだ…」
「…陛下」
「せめて、この心臓が止まってしまう前に…」
一つの灯りの中に、マクシミリアンの白い顔と、鈍く光を放つ金色の髪が茜色に映し出された。
先日、夕焼けの中で見た子供を思い出し、セバスチャンは顔を伏せる。

「陛下・・」
―あまりお一人で背負い込まれるな―
脳裏に浮かんだ言葉は、別の言葉となって口から出た。
「御身を大切に…」
「ああ」
マクシミリアンの返事とも吐息ともつかない声は、夜の帳に消えた。
塔の城の裏側には、馬場がある。
ここには、王家所有の馬が数十頭いて、その中に一頭目立つ馬がいた。
全身が白いポニーだ。
これは王太子トトの馬だった。
「ねぇ、もうこんなに走れるようになったよ!」
ポニーに跨ったトトは、ご機嫌そのものだ。
「ほら、ちゃんと前を向いて!手綱を握って!」
近くで見守っているルイの声が飛ぶ。
一応、まだ危険がないように厩番が横に付いているが、母はそれでも心配らしい。
「トトはだいぶ上達したじゃないか」
心配そうな顔をしているルイの隣にいつの間にか、マクシミリアンがいた。
「僕も久しぶりに馬に乗りたいなぁ、医者には禁じられてしまったけれど」
その場にいたルイ以外の人々に、気を使わないようにと合図しながら話す。
彼の身体は確実に弱っていた。
だが、めったにそれを表に出さないのは彼らしい配慮だ。
「昔、ジュバルトと、よく遠出に出かけたものだよ。お散歩に!」
「お散歩じゃなくて、遊びでしょ?!」
ルイが肘で突く。
「それにしても…」
マクシミリアンがふいに出した名に、ルイは溜息をついた。
「ジュバルト陛下は今どこにいらっしゃるのか…」
ジュバルトは、イルミーネ国の隣国バストール国の国王だった。
いや、国王だった。
数年前、彼は唐突に自分の王国から姿を消し、未だに消息がしれない。
「生きている…と思うよ。今もどこかで」
マクシミリアンは、かつて親友だった者の姿を思い浮かべた。
世に長けた年上の友。
イルミーネしか知らなかった自分に、外の世界を教えてくれた快活な男だった。
彼との出会いが、今に至る全ての始まりだったといっても過言ではない。
改革の協力者でもあった親友は、今一体いずこを漂っているのか。
「ジュバルト陛下がいなくなってからはバストール国からの使いも少なく・・」
すでに、民主制議会を取り入れて経済的な発展を遂げている隣国の王は、強力な後ろ盾だった。
イルミーネより栄えているという事実は、改革反対者たちに対し説得力がある。
だが、それも国王がいなくなってしまっては、力の半分以上を削がれたようなものだ。
今、バストール国は自国の王位継承問題で揺れているという。
とても他国の面倒を見ている暇などなかったのである。
強力な後ろ盾を失ったマクシミリアンの改革が滞っているのも当然だった。
今は、すべて自らの力のみで周りを導いていかなければならない。
その事が、彼の身体と心に一層の負担をかけていた。
「バストールの王はおそらくジュバルトの子供になるだろうな」
「サング様といいましたか」
「ああ、トトと同じ歳だよ」
マクシミリアンは言った。
「ただ、アンジュー公を推す動きもあるらしいが…」
アンジュー公はジュバルトの弟だ。
王位継承は複雑だ。
すんなり王の子が王位につけるとは限らない。
この場合は、国王ジュバルトが名もない踊り子との間に作った子供よりも、弟のほうが優位と見られるのだ。
「ジュバルトの王妃…ではなかったな。彼の妻“リリー・ポイズン”が亡くなる前に、ジュバルトは彼女が産んだ子を王位継承者と認めて継承権第一位としているから、アンジュー公が出ると…争いが起きる」
「…できるならそのような事は避けたいもの」
「アンジュー公のお人柄を考えると、避けるだろうな。まぁ、もっともまわりにもよるけれどね」
控えめで、聡明な人だ。
と、マクシミリアンは言った。
「私は、アンジュー公にはお会いしたことがない」
噂によると、とても美しい人だと言う。
ルイは、その人の兄であるジュバルトを思い出してみた。
明るい金髪を腰まで伸ばし、深い海色の瞳を持ち、男性を感じさせるシルエットを持った男。
バストール王家は美形揃いで有名だった。
「会ってみたいな」
「彼は若くして隠遁生活に入っていたからね」
残念でした!とマクシミリアンは笑う。
そういえば…バストール王家と言えば…
ルイには忘れられない人がいる。
ディアヌ・アルキュード
月の女神の名に相応しい容姿を持った女性。
ジュバルトの妹。
白銀に近い長い髪。陶器の人形のように白い顔。瞳だけが濃い蒼でそれだけが兄と似ていた。
兄のジュバルトが太陽なら、ディアヌは月だった。
それほど対照的な兄妹だったのだ。
もっとも、ジュバルトは正妻の子、ディアヌは前バストール国王がイルミーネのさる貴族との間にもうけた子である。
バストールとイルミーネの血を持っているディアヌ。
だから、マクシミリアンの婚約者に選ばれたのだ。
それなのに、マクシミリアンはルイを選んだ。
ルイは、未だマクシミリアンの婚約者だった頃のディアヌの瞳が忘れられない。
まだ、ルイがマクシミリアンの剣術師範でしかなかった頃でさえ、自分に対し一瞬見せた眼差し。
嫉妬と言うより、あれは憎悪。
マクシミリアンを世話する女官にさえ同等の眼差しを向けていた彼女の強烈なまでの想い。
あれほどの美しい人がなぜ…と思ってしまう。
いつも、彼女を思い出すたびに切なくなる。
自分は他人に対しあれほどの感情を持てるのだろうかと・・。
「ディアヌは…」
「ジュバルトがいなくなったのは、リリー・ポイズンの死からか…」
マクシミリアンがルイの言葉をさえぎる様に話し始めた。
「彼はあれで情の深い人間だったからね」
バストール国王ジュバルトは、こともあろうか、流れてきたジプシー踊り子リリー・ポイズンに入れ込んで、子をなした。
その後、リリーは子供を一人残し亡くなった。
ジュバルトが消えたのはその直後だ。
「リリーの死後、気に染まぬ相手を王妃に立てられた。その事に反発したとも言われているが」
マクシミリアンが見舞いに訪れたとき、ジュバルトは人が変わったようにリリーの棺の前から動こうともしなかった。
―もしかしたら、ジュバルトは…リリーを追って行ったのかもしれないな―
そう思うのは、あの場にいた者だけなのかもしれない。
「ともかく。ミスター銭袋と、私、マックス、3人でいた頃は楽しかったね」
ニヤリとしながらルイは語る。
「あのジュバルトをそんな風に呼ぶのは、ルイただ一人だよ、きっと」
「だってあの人、口癖が「儲かるのか?」だったし」
「まったくルイにかかると色男が台無しだ」
マクシミリアンは大げさに両手を広げてみせる。
「ミスター銭袋と、へなちょこマックス!」
「それに…天然娘ルイ!」
ここぞとばかりにマクシミリアンは口を挟んだ。
「なに、それ?!」
「だって、ジュバルトがいつもそう言ってたもん!」
突っかかるルイにマクシミリアンがあらぬ方向を見て誤魔化す。
昔からいつもこうだった。
「そういえば、レナは元気かなぁ?しばらく会ってないけれど、ラウゼン氏も」
「きみの妹はラウゼン氏と結婚したんだよね。クレランス家を継いだんだろう」
「うん、私がこっちにきたからね。実家はレナが継いだ」
妹レナの夫、ラウゼン氏はルイの友人だった。
ルイが王家に嫁いだために、ルイの実家のクレランス家はレナが継ぎ、その夫、ミナト・ラウゼンはクレランス家に養子として入った。
「ラウゼン氏は見かけは紳士的だけど、実は鬼コーチで特に乗馬の事となるともう~」
ルイがそう言った時、向こうからトトの声が聞こえた。
「父上ー母上ー二人だけでお話ばっかしてる!トトもートトもー!」
トトが馬上でバタバタと暴れている。
「殿下!お静まりください!」
厩番が顔を青くし、慌てて馬をなだめた。
「トト危ないよ!ちゃんと姿勢を保って!」
ルイの声が響く。
「まったく誰に似たのか、落ち着きがない」
頬を膨らませているルイの隣で、マックスがフフッと笑いをもらした。
「そうそう、さっきの話…昔、ラウゼン氏が、馬に乗るときの心構えを教えてくれたよ。
馬に乗るときは、馬の気持ちを考えてやらないとダメなんだって。
馬は見かけによらずデリケートだから、驚くと上に乗っている人間の事なんて忘れてしまうから、気をつけろって…」
ルイの瞳がふと遠くを見つめた。
「馬の気持ちねぇ・・競馬の時くらいしか考えた事がないなぁー」
「マックス!」
「ほらほら、もうやってないから!やめたから!」
勘弁!とでも言いたげな態度だ。
「それにしても…」
ルイは、ふと空を見上げた。
「なんで、こんな昔のことばかり思いだすんだろう」
空が恐いくらいに澄みきっているからなのかな…
と、ルイは呟いた。
「あの頃は楽しかったよ。ジュバルトがいて、僕がいて、ルイがいた…でも今は…」
「父上ー、母上ー!」
向こうから幼子が走ってくる。
マクシミリアンはその子を抱き上げた。
「この子がいる」
「うん」
三人の背後に一つの重なった影ができた。
続く

