彩は、いつものようにこたつでTVを見ながら、ホットミルクをすすっていた。
部屋に入ってきたリューの存在など気づかぬように。
しばらくして、リューは一言
「あのさ」
声を発した。とても、我慢出来ない状況だったのだ。
すると当たり前のように
「きみは牛乳の膜が好きか?」
彩が聞いてきた。
「嫌いだ。ホットミルクの時は、いつも取り除くようにしている」
「そうか…僕はこれが意外と好きなんだがな…」
そう言って、カップの端についた膜をスルスルと飲み込んだ。
「あのさ…」
「昨日はとてもよく眠れた…とだけ言っておく。それ以上言う事はない」
「だからっ!」
自分でも何から言ったらいいかわからない。
目の前の動かせないブツに対する怒り。
リューはゴミ箱を蹴り上げた。
それでも、彩はこたつから出ようとしないまま言った。
「きみは戻ってきたのか?それとも荷物を運び出すつもりなのか?
どちらにしろ早く決断を出してくれ。…こう見えても、僕は今とてもイラついている!」
ガシャン!
こたつの台を強く叩いた。
彩の白い手が落ち着き払った表情とは、裏腹に堪えきれない感情のために震えている。
その音で、リューの中の何かが切れた。
「イラついてんのは誰だと思ってんだ!オレも、ロイも…。おまえのわけわからない理由のために何人傷つけたら気がすむんだ!!」
「うるさい!おまえなんかにわかるもんか!」
すっと彩が立ち上がった。
「何も知らないくせにっ!」
「知ってるさ、おまえがロイが好きな事も、回りくどい手使ってわざと傷つけた事も!」
「……っ!」
彩の白い顔にさっと赤みが走る。
それは羞恥ではなく、怒りの色だった…と気がついた瞬間。
リューは投げ飛ばされていた。
天地が逆さになっている。
そういえば、彩は頭に血がのぼると、問答無用に人を投げ飛ばす癖があった。
何度も手合わせして知っていたじゃないか…。
だからこそ、考える前に身体が受身を取っている。
リューは、何事もなかったようにすくっと起き上がった。
「いいぜ、こいよ。気がすむまでやりあおうぜ」
「…」
「おいっ!」
部屋の扉が開いて、誰かが声をかけてくる。
「やめろ!」
誰かが入ってくる。
「どけっーーー!!!」
「ぐぉ!」
誰かが飛ばされた。
「どうなっても知らないぞ…おっと!」
誰かの声が途切れて、その場を凍らせるような鋭い声が響いた。
「やめんか!二人ともっ!!」
静まりかえる場からは、野次馬が一人ひとりと退いた。
だが。
隙を見て、彩が蹴りをリューの脇腹に当てた。
「って…!」
こたつに倒れるリュー。
冷め始めている彩のホットミルクがカップごと宙に舞う。
「ぇ・・?」
さすがに、この人物をもってさえも避けきれない事態もある…。
バシャ…。
毅然とした姿勢のまま、頭からホットミルクをかぶってしまったリヒャルト長官。
「・・・」
「・・・・・」
「・・・」
その時、本当にその場の雰囲気は凍りついた。
幸いな事にカップの直撃はまぬがれたようだが、頭から顔から黒い軍服までミルクまみれである。
しかし、この凍てついた時間を溶かすために熱い男が現れた。
ピンク色のハンカチで、呆然としているリヒャルトを拭いながら
「ダメじゃないか…他人のミルクでこんなに汚しちゃ…」
氷さえも溶かすような甘ったるい口調で。
今にも口付けしそうな雰囲気を醸し出しながら、RQは彩に視線を送った。
-いきな-
彩は、さっと踵を返し部屋から飛び出していく。
「おいっ!どこへいく!」
やっと我に返ったリヒャルトの制止も聞かず、彩は通路の先に消えた。
「これで少しはすっきりしたかな、あいつ…」
頬を擦りながら、リューは呟いた。
「オレにも不器用な恋人がいるからな。よくわかる」
RQが意味ありげにリヒャルトを見やる。
リヒャルトはフンと視線を反らし
「おまえ達は一足先に懲罰房だ。彩は戻ってきてからだな」
彼が険しい表情なのは、頭からホットミルクをかぶった事ではなく、その後のRQの発言に問題があったからだと思われる。
その頃、彩はロイの部屋に向かっていた。
だが、ロイは不在だった。
居場所を聞いてみると…
「ロイ」
「彩さん、どうしてここに?」
書類が山と積まれた事務室。
埋もれるようにカロムが座っている。
「はいはい…そう…じゃあ、OKね」
受話器を離して、カロムはロイに言った。
「あっちはOKだって。あとは正式に長官に転属願いを出すだけだね」
「はい。ありがとうございます」
「それにしても、突然だね。まぁいいけどさ」
「すみません」
「…ロイ」
椅子に座ったまま、ロイは彩のほうに顔をあげた。
「僕、ヨーロッパ支部に移る事にしたんです」
「な…んで」
ロイは大きな瞳を潤ませていた。
そして、声が震えていた。
「僕はここにいても役に立たないから、支部で鍛えてもらう事にしたんです。凍牙先輩もヨーロッパ支部から来たみたいだし。そのうち、僕も…彩さんの役に立つのかな…って」
「凍牙なんて、あんな奴の事なんかどうでもいいんだ!役にたつとか、そんなのどうだって…」
「もう決めたんです」
小さな決意の声だった。
「僕は…」
「彩さんに出会えてよかった」
「何も…」
「旅立つ準備をしないと…それでは」
ロイは椅子から立ち上がり、事務室から出て行った。
「追わなくていいの?何か言いたそうな顔してるけどさ」
カロムが書類に目を通しながら、黙り込んでいる彩に声をかけた。
「言わなきゃいけないんだ…」
彩は、廊下を歩いているロイに追いついた。
「彩さん…」
「ヨーロッパ支部に行っても…忘れないでくれ」
「忘れませんよ。皆さんの事」
「僕は…」
「いつか隣にいられるように…したいです」
「…あの…あげたもの…本当はちゃんと」
「忘れません」
いつの間にか、ロイが振り返っていた。
「忘れません。だから、きっと戻ってくる」
「ああ」
彩は、ロイの肩に手を置いた。
「きみは、僕の後輩だから…だから…僕の背中はいつでもきみを守るために在ると、覚えておいて欲しい…」
「…あ・・りがと…ございます…」
ロイの手は、いつの間にか肩に置かれた手を握っていた。
涙で濡れている瞳が何か言いたそうにしていた。
小さな口が開きかけたのを見て、彩は手を離した。
「…それだけ」
「リュー・ウェン出ろ!」
「は??」
懲罰房で横になっていたら、外から声をかけられた。
「おまえじゃねぇの」
隣でケツをかきながら、RQが退屈そうに言う。
「特別処置だ。同室の彩が戻った」
「彩が?!」
リューの脳裏に“ただならぬ事が!”という嫌なキーワードが浮かぶ。
そして、ずばりそのとおりの答えを言われた。
「あいつの看護をしろ」
真っ青な表情で自室に戻ったリューが見たのは、Dr.コッぺリウスに支えられた彩の後姿。
「何があったんだ!まさか、自殺未遂とかっ!」
「めったな事は言わないでくれ。まぁ、似たようなものだけど」
のったりとコッペリウスが言った。
「ゲェ・・オェ…」
蛙が潰れた時みたいな声を喉から出しながら、彩は喘いでいる。
「呑み過ぎだ。バカな子」
「呑み過ぎですと??」
リューは頭を抱えたくなった。
だが、その間もなくコッペリウスに彩を預けられた。
「落ち着いたら、薬飲ませといてね」
医者の癖に患者置いていくのか…と言いたかったが、正直これ以上コッペリウスを拘束することはできない。SSG隊員全員を診ている医者に、酔っ払いを看護している暇などないだろう。
コッペリウスは、先ほどから時計を見ている。
そして、叫んだ。
「おぉっ!大変だ!デートに遅れてしまうっ!」
どうも医者は暇だったらしい。
「コッペリアが怒るからね!私はもう行くよ!」
ちなみに“コッペリア”とは、骨格標本の事である…。
医者去りし後、リューは彩を洗面所に連れて行き、薬を飲ませ、ベッドに寝かせた。
「僕は、あのチョコレートがちゃんと選んだものだって言いたかったんだ」
うわ言のように、彩が天井に向かって呟く。
「何日も前から、ずっと決めてた。これをロイにやるって…」
「そんな想ってるんだったら、なんで、はじめっからそうしないんだよ」
「できるか…自分の先輩が年下の男趣味だったなんて。信頼してくれてたかもしれない。
ロイに嫌われてしまう…」
「でも、言えば想いは通じるかも・・」
リューの言葉に彩は首を振った。
「男女なら、そういう事もある。振られても、次から表向き平然としていられる。
それがまわりに広まっても…。でも、同性の場合はそうはいかない。
徹底的に避けられてしまう。そして、思われてしまうんだ。
“この人はこういう事のために自分に近づいて親切にしてくれてたんだ”って…」
彩は、以前、そういう目にあったのだろうか。
リューは、そういう体験がなかった。
「好きなものを好きと言って何か悪い。女を抱くみたいに、男が抱きたいと思うのがどうしていけない。ああ、ロイが泣いてた…抱きしめたかった…でも、できない」
「ロイは、おまえの事好きなんだ…わかってんだろ。おまえ」
また彩は首を振った。
「僕だって何度も考えたさ。あのくらいの歳には“いつか大人になったら自分の思い込みだったと忘れられる感情”みたいにさ。なのに、僕は変われない。
ロイも、僕が…本当に求めているものがわかったなら、逃げ出すかもしれない。
…でも、僕は変われない。変われない…」
彩が恐れているのは、自分の持つ恋愛感情が肉欲まで含んだ大人の恋愛感情だって知られる事実だ。
もし、ロイが先輩に対する憧れだけで彩を想っていたとしたら…。
「ごめん、おまえの事…よくわかってなかった」
リューは、布団に顔を埋めた。
なんで、彩が凍牙を使ったのか…それは、自分が“こういう傾向を持つ者”だと無言で訴えるためだったのか。
もし、そうじゃなかった時のために。
でも、それは結果的にロイを一方的に傷つける事になってしまった。
「馬鹿だよ、おまえ」
「わかってるさ…いつもこんなもんだ」
そう言った彩の声は寂しげだった。
彩の心臓の音が近くで聞こえる。
なんとはなしに、痛みきった髪を撫でてみた。
ガサガサする。
すっと彩の手がリューの頬にのびた。
「寝よう」
「は?」
「一緒に寝てくれ」
「え?」
まさか、この期に及んでそこに話がいくとはっ!
リューはあわてて上着をほおリ投げた。
「ほ、本気か?」
覚悟…覚悟…!
自分でもした行動の意味がよくわからない。
彩が目を丸くしてこちらを見ている。
「なんだ。きみは僕を抱くつもりか」
「え!へ??」
「まぁ、断りはしないけど。きみが相手なら抱かれてもいい」
「は??」
半裸状態のリューは自分の姿を見返した。
オレは…何を…。
「違う!違う!オレはそういう意味じゃなくて、びっくりしただけだ!」
プッ・・・
布団に顔を埋めて彩が笑っている。
やがて堪えきれずに、馬鹿笑いをはじめた。
「覚悟を決めて一緒に寝てやる!後悔するなよ」
ぷんぷんとしながら、リューは彩のベットに入り込んだ。
ちゃんと上着を着なおして。
しばらくすると、彩が身体を寄せてきた。
「なんだ…なんだよ…」
「あったかい」
うとうとした眼差しで彩が言う。
「人肌は…いいね…」
「そんな事言ったら襲われるぞ」
「だから、人前では寝ないようにしている」
「…おい、それって…」
やがて、すやすやと寝息が聞こえてきた。
こいつ…襲われかけた事があるのか…それとも襲われちまったのか・・
それとも・・・・・・襲っちまったのか?
彩の場合、どれも考えられた。
まぁ、真実はわからない。
彩が語るまで。
それと、彩が散々見られるのを恐れていた寝顔だが…
意外と普通だった。
「可愛いじゃん…」
思わず呟いた言葉に、リューはあわてて口をつぐむ。
「何言ってんだ、オレっ!!!???」
そして、数日後。
「彩には会っていかないのか」
「ええ」
ロイが出発する日。
リューは、早朝出発するロイを見送りに寮の外に出た。
昨日の晩、送迎会が行われたが、彩はとうとう最後まで姿を見せなかった。
まぁ、こういう行事を嫌っている彩が欠席なのに、誰も疑問を抱かなかったが。
ロイは小さな溜息をついていた。
リューも無理に参加しろとは言えなかった。
彩が自室で酒でも呑んでいるだろう事はわかっていたから。
「まぁ、同じ地球上に住んでんだからな。また、すぐに会えるさ。身体には気をつけて、達者でな!」
「はいっ!」
ロイは久々に元気な顔を見せた。
「ところで、リュー先輩」
「ん?」
「彩さんの事、頼みます。あの人は、なかなか素直じゃないですから」
「そうだな…って、それはどういう意味だ?」
「僕は、かならず成長して戻ってきます。その時、リュー先輩が彩さんを泣かしていたら、許しませんよ」
「な、なんだとっ!」
「…なんて。半分以上本気です」
「負けねぇよ。おまえなんかに」
…なんでそんな事言ったんだろう。
思い返す頃には、ロイの背中は小さくなっていた。
そして、その先には。
「あいつ、いつの間に!」
彩がいた。
ロイが、目を細めて進む先に。
何も言わないですれ違っていく。
「がんばれよ」
彩が言った。
「次に会う時、僕が言う言葉を受け止めてくれますか」
ロイの言葉に、彩が頷く。

「では…また」
ロイは旅立っていった。
「おいっ!彩」
リューは、さっき言った言葉を彩に聞かれたのではないかと、気が気ではなかったが…。
「ぅ・・・オェ…」
彩が、突然口もとを押さえて屈みこんだので、あわててそばに寄る。
「大丈夫か?どうした!」
「ふ、二日酔い…ロイが…ロイが行ってしまった。僕はもうダメだ…」
「わかった!わかった!二日酔いには、向かい酒だ!今回はオレも付き合うぞ!」
そんなわけで、その日の夜も、リューは彩と寝る事になった。
「まぁ、いいか」
明日も、この温もりが欲しくなってくる。
「ち、違う!オレはそんなつもりじゃ」
まだ何をしたわけでもないのに、自分の考えた思考に首を振るリューだった。
そして後日談。
「やっぱり、これ返します」
占い師兎兎のもとに凍牙が訪れていた。
「どうして?これはきみが喉から手が出そうなほど、欲しがっていたものじゃないか」
小さなプラスチックケースに入ったそれを指差す兎兎。
「だ、だからっ!刺激があまりにも強すぎる事に気がついたんですっ!
こ、これがあの方の身体の一部なんてっ…!!!」
言いながら、凍牙は鼻血を吹いている。兎兎はそっとティッシュを差し出した。
「気持ちは大変よくわかるよ!きみも毛が好きだからね!」
「そういうわけじゃ…ただこれがあの方のものだと思うと、毎晩眠れないっ」
「おや、先客がいたのか」
占い師の部屋に入ってきたのは、リヒャルト。
「やぁ、実はあなたの…」
「ひゃーーー!!ごめんなさいっ!!」
凍牙は意味もなく悲鳴をあげ、鼻血を押さえながら走り去っていった。
「どうしたんだ、あいつは?」
聞くリヒャルトに兎兎は答えた。
「誰でも好きなものには弱いんだよ。毛萌えは奥が深いからねぇ」
「?」
END

