RQがそれに気が付いたのは、すべてが終わってからだった。
道路の真ん中に小さな黒いものが落ちている。
はじめは布切れかと思った。
だが、よく目をこらしてみると4本の細い手足が見えた。
「これはなんだ?」
近くに寄ってみると、小さな生き物で、まだ息をしている。
「なんだ猫じゃないか」
大きな掌が子猫を包み込むように抱き上げると、ぐにゃりと嫌な感触が指先に広がった。
さすがに、この時ばかりは、無敵に見えるRQも顔を引き攣らせて、恐る恐る子猫を裏返してみると…。
「ひでぇ…」
子猫の裏側。
倒れた際、下側になっていた右半身がひどい火傷で爛れている。
顔も右側半分が潰れていた。眼球がどこにあるのかもわからない。
珍しく神妙な顔をして、RQはそれを掌に抱いたまま、場を後にした。
「あのさぁ。私は獣医じゃないんだけど」
そう言いながらも、ドクターコッペリウスの手当ては完璧だ。
普段どの人間に施すよりも丁寧で優しい治療を施しているところを見ると、彼は人間よりも猫のほうが好きなようだった。
「こいつ助かるか?」
「一応…傷口が膿まなければ。あとは本人の生命力次第かな」
子猫は麻酔で眠らされている。半身を覆う白い包帯が痛々しい。
「手足は白いんだな」
見つけたのが夜で、子猫も薄汚れていたから気づかなかったが、手足だけが白い黒猫。
「雑種だね。だけど、たぶん飼い猫だと思う。確証はできないけど、佇まいが」
「こいつの飼い主ってやつは、どこにいるんだろう」
RQはピンクの髪を掻き揚げながら、ふと顔を曇らせた。
「余計な手出しはしないほうがいいと思う。そっちは私たちの管轄じゃないよ」
「どういう意味だ」
「動物虐待者を勝手に裁ける立場じゃないだろう」
「!?」
水色の澄んだ瞳が大きく見開かれた。
「まさか、きみはこの子の飼い主を探すつもりだったのかい? 私は、てっきり殺すつもりなのかと思ってたよ」
冷静そのものの面持ちで、ドクターは眠っている子猫の傷口を辿る様に視線を動かす。
まさしく検視医が死体を眺めるような眼差しのまま、コッペリウスは口を開いた。
「通りすがりの変質者がやったなら、息の根を止めるところまで楽しんだだろう。
過去に何度か傷つけられた痕もあるし、飼い主の可能性が高いね」
「くそっ!そんな酷い話があってたまるか!」
座っているベンチを思うさま殴りつけて、RQは立ち上がった。
「どこに行くんだい?」
「こいつをこんな目に合わせたやつを同じ目に合わせてやる!」
「さっき私が警察のほうに手を回しておいた。時期に犯人は捕まるだろう。いや、今すぐにでも…」
「それでも、オレはじっとしてられねぇんだよ!」
RQが扉を蹴飛ばした時だった。
医務室の電話が鳴った。
「ああ、私だ。そう…」
短く返答した後、コッペリウスはRQのタンクトップをつかんだ。
「もう終わった。犯人は逮捕されたそうだよ」
RQの身体が止まった。
そして、大きく肩で息をして、怒りを押し殺し声を発した。
「そいつは、刑務所で快適な生活を送るわけだな」
「彼は余罪があるらしい。あまり快適とは言えない生活がまっているだろう。私だって、こんな立場じゃなかったら、そいつの腕から骨を抜き取ってやりたいくらいだ」
「邪魔したな。そいつのことよろしく頼む」
RQは去った。
秘密組織SSGの人間が、任務以外で一般人を傷つけた場合、いろいろと不都合が生じる。
コッペリウスの気持ちもわからなくはなかったが、今夜は怒りが収まりそうにもなかった。
「誰がやった?!」
翌朝。
めちゃくちゃに壊された運動器具を目の前に、リヒャルトは怒声を飛ばした。
トレーニング場に集められたSSG隊員たちは、誰も緊張の面持ちでじっと黙っている。
「オレだ」
別に何という事もなさそうな顔で、RQがやってきた。
「きさまは何のつもりだ!」
「トレーニングをしてたら、壊れちまった」
「なに?」
どう見ても、普通にトレーニングをした跡ではない。
器具そのものを破壊するつもりで殴りつけなければ、こうはならないだろう。
「器具が脆いんじゃないか」
「…」
睨みつけるリヒャルトから視線をプイっと反らして、RQはふてくされた子供のような顔をした。
何かあったのだろう。
でかい図体のわりに、時々RQはこういう子供のような真似をする。
「これの分はきさまの給料から引いておく。今夜は懲罰房だ。わかっているな」
「快適な場所で光栄だ!」
吐き捨てるように言って、いつものようにトレーニング場から姿を消すRQ。
「…」
おかしい。とリヒャルトは思った。
RQはいつもふざけていた。
あの男が敵意をむき出しにしているところを、戦場以外ではあまりみたことがない。
何かある…。
その後のトレーニング。
リヒャルトは、胸にひっかかるものがあって、なかなか集中できなかった。
…数日後、リヒャルトは私用で医務室を訪ねた。
「いつから猫を飼うようになったんだ?」
コッペリウスの椅子の近くにペット用のベッドが置いてある。
小さな黒猫がそこにちょこんと横たわっていた。
「ペットじゃなくて、これは患者だよ」
コッペリウスはミルクが入った皿を猫の前に置いた。
だが、子猫は怯えたように後ずさりしてミルクに口をつけようとしない。
「数日前に、きみのダ~リンが連れてきたんだ」
細い眼鏡の奥の瞳が笑っている。
「私にそんな者はいない!」
返答は予測できたものだったので、コッペリウスは笑いをこらえながら、猫の様子を伺っている。
「ところで、この子は意識が戻っても、ちっとも食べ物に口をつけてくれないんだよ」
「なぜ??」
子猫の体中に巻かれた包帯にリヒャルトは気付いた。
「この猫はどうしたんだ?」
「だから、きみのダ~リンが助けてきた。人間に虐待されたんだよ。その後、犯人は警察の手によって逮捕されたけど」
「なにっ!!あいつは、犯人を取り逃がしたのか!」
「SSGの人間がトラブルを起こしちゃまずいだろう。私がRQを止めた。ついでに警察にも手をまわしておいた。事は済んだよ」
「すまない…礼を言う」
ちっとも気付いていない、リヒャルトは自分の台詞が正直すぎることに。
「プッ!」
「どうした?」
コッペリウスは吹き出しながらも子猫にミルクを勧めている。
やはり、怯えた様子で子猫は後退した。
「よほど、酷い目にあったらしいね。人間をこうまで怖がるなんて」
(数多くの人間たちに恐れられているはずの)コッペリウスは珍しく感傷的な表情になった。
すると、リヒャルトが子猫に近づいた。
「この傷は、信頼している誰かにやられたのか?」
「ああ、たぶん飼い主…」
「まだ痛むだろう」
リヒャルトの視線は子猫を見つめていた。
猫に話しかけているのだ、とコッペリウスは理解した。
「誰も信じられなくなっても、生き残ることだ」
ついと、ミルク皿を差し出す。
「強くなれ。こんなところで死ぬな」
不思議なことに、一つだけしか見えない子猫のグレーの瞳が、リヒャルトを見つめて
頷いた…ように見えた。
そして、静かにミルクに口をつけた。
「ほぉほぉ!!長官は猫を説得するすべを心得ているらしい」
コッペリウスは、愉快そうに手に持った骨をカンカンと打ち鳴らした後、
「では、この子は長官付きということにしよう」
「待て!なぜそうなる??」
「だって、そうしなければ、この子は飢え死んでしまうだろう。今のところ、この子に食べ物をやれるのは長官しかいないわけだし…。まさか、こんなか弱い者を見捨てる長官ではあるまい!」
「むむむ…」
ここで断ったら、とてつもない卑劣漢になりそうな気がする。
それに、ミルクを舐めている小さな包帯だらけの子猫を見ていると、ふと哀れみのようなものが浮かんできて、リヒャルトは「ああ、まぁ…」とだけ答えた。
「号外!号外ですよ!」
翌朝、SSGの食堂入り口では”長官親衛隊”、別名:黒猫倶楽部が号外を配っていた。
「なんと、我らがリヒャルト長官殿が猫を飼われたらしい!」
号外の表紙は、リヒャルト長官と問題の子猫の写真が、芸能人のスキャンダル並な大きさで載っている。
「面白いことになったね。今度ばかりは私も萌えそうだよ」
占い師兎兎が朝からアイスクリームを頬張りながら、モグモグと言った。
親友のコッペリウスから猫の事情は聞いていたが、まさか一部のファンから黒猫呼ばわりしているリヒャルトが引き取るようになるとは思っていなかった。
「写真を見る限り、瓜二つだね。まるで兄弟みたい」
「兄上、ちょっと羨ましがってるでしょ?」
「でも、あの子猫はリヒャルト以外には心を開いていないって、コッペリウスが言ってたよ。慣れたころ、私が登場してみよう」
もっとも、兎兎のように慣れたころ登場しようと思っている人間ばかりではなかった。
リヒャルトの部屋には、連日意味もなく誰かが訪れた。
目的は、子猫と戯れる長官の姿である。
長官の子猫に取り入ろうと考えた者もいたが、ことごとく逃げられた。
この子猫は、まだリヒャルト以外には心を許すつもりはないらしい。
「名前は、決まったのか?」
RQがリヒャルトの部屋にいる時、リラックスしているのは、そういう後の証。
眠っている子猫のほうを優しげな瞳で見つめながら、リヒャルトは
「強そうな名前がいいと思って、アポロと呼ぶことにした」
と答えた。
「可愛いじゃないか」
リヒャルトは、裸のうなじに指を沿わせてくる男を睨み付けながら
「強そうなと言った。ギリシャ神話の太陽の神からとったんだ」
「”あぽろ”…やっぱ可愛いじゃないか」
そう言って、RQはさっき引っかかれた手の甲を見つめた。
アポロは、リヒャルト以外誰にも懐かなかったが、特にRQに対する反応は酷かった。
姿を見せた途端、攻撃態勢に入る。
近づこうものなら「シャー!」と声を上げて威嚇する。
「おいおい、命の恩人に対してそれはないだろ」
そうして、手でも出そうものなら…
「…オレはそんなに悪いことしてないはずだ!」
RQが真剣に叫ぶほど、噛み付いたり引っかいたり…。
もちろん、子猫なので何をされても、それほど痛くはない。
だが、「さては、おまえツンデレなんだろう?!」というRQの一言が、彼に本気を出させた。
うっすらと血がにじむほど、RQは引っかかれた。
「アポロはあんたに似ている」
ベッドの中でRQはポツリと言った。
「それは皮肉か」
リヒャルトは、顔の傷に手をやった。”似たような傷跡”という意味に捉えたらしい。
そんなリヒャルトの気持ちも知らず、RQは
「いや、オレのことが好きだから、ついつい攻撃的になるところなんかが似ている」
と言い、子猫にやられた時よりも酷い目にあった。
その日は、暑い日だった。
連日、焼け付くような猛暑が続いていたが、特に今日は暑さが異常だ。
SSGの建物は設備が整った施設だったが、やはり気候のせいか体調を崩すものが現れ始めた。いつもは厳しいリヒャルトも「自分の体調管理はしっかりするように」というに留めた。
それほど、今年の暑さは酷いのである。
倒れた人第一号になった占い師の兎兎は、いまだにベッドから起き上がれない。
彼の弟のように、部屋の温度を20度前後に保ち続けて部屋からほとんど出ないで過ごしているような人は稀で、(頭だけで食っていける+もともと活動的ではない=超電波系というような条件が必要だった。兎兎だって、占い師なのだから部屋でじっとしていればよさそうなものなのに、日中買い物なんかに行くから倒れたのだ)普通の人は少なからず、この辛い暑さに苦しめられていた。
実は、リヒャルトも眠れない日が続いている。
空調は調整しているのに、身体がついていかないのか眠れない。
それに加えて、SSGの長官としての任務はハードだった。
…頭がぐらぐらする。
気が付いたときには、足元がふらつき壁に寄りかかる姿勢になっていた。
「う…」
リヒャルトがくらむ頭を振ると、下から心配そうに見つめてくる瞳がある。
一つだけの大きなグレーの瞳。
「アポロ」
その名を呼んだ途端、リヒャルトの目の前が暗くなった。
「ニャーニャー!!」
「ん?」
ちょうど自室のベッドの上でバーベルを上下させていたRQ。
近くで子猫の声がすると思ったら、シーツが可愛らしい力で引っ張られているのに気づいた。
下を覗くと、どこから侵入してきたのか、アポロがいた。
「どうした?オレと寝たくなったのか?」
ふざけた口調で言ってみたが、アポロは普段のように怒らない。
ただ、必死に「ニャーニャー!」と鳴いている。
「何かあったのか?」
ただならぬ様子に、RQもバーベルを放り出し、子猫に従った。
バーベルが部屋の床をぶち抜いたことは気にも留めなかった。
「…」
リヒャルトが目を覚ましたとき、視界に医者のコッペリウスとRQ。そして、枕の横に心配そうな顔つきをしたアポロがいた。
「アポロ?」
「熱中症かと思ったけど、夏風邪も併発しているみたいだね。酷い熱だ。よくこんなになるまで気づかなかったと、呆れるよ」
コッペリウスは、点滴の針の具合を見ながら、ため息をつく。
「少なくとも2日間は安静にしているように」
「2日も…?」
不服そうな顔のリヒャルトに、コッペリウスは
「普通の人だったら5日間は。というところだ」
と付け加えた。
「アポロがオレのところに来た」
「アポロが?」
RQの言葉に、不思議そうな顔を見せるリヒャルト。
普段、アポロはRQをあまり近づけたがらなかったから、なおさら。
「動物は、信頼できる人のところに行くらしい。少なくとも、私よりはRQを信じたというところだろうね」
少しばかり、嫉妬をにじませながらコッペリウスは呟く。
すると、アポロは気まずそうにリヒャルトの布団の中に潜り込んでしまった。
「そうか、やっぱツンデレだ!」
RQがそう発すると、「ニャー」と講義の声があがり、布団の中から白い手をちょこんと出した。
引っかこうとしているらしくピョコピョコしているところが愛らしくも可笑しい。
ついついリヒャルトまでが笑みをこぼした。
だが、すぐに真顔に戻り
「仕事は」
とRQのほうを向く。
「あんたのことだから、2日分のことは先にやってるだろ。事務処理はカロムに任せておく。トレーニングはそうだな…凍牙にまかせておけばいい。あいつはあんたのためなら力量以上の仕事をする。こぼれたところはオレがどうにかしてやる。もっとも、そんなにすることもないだろうが」
「…うん」
布団の中が苦しかったのか、アポロがリヒャルトの顔の前に頭を出した。
「おまえには、礼を言わねばな」
喉を撫ででやると、アポロはごろごろと気持ちよさそうに鳴いた。
「あ~あ、いいなぁ。オレもご褒美をくれ」
RQが近づくと、リヒャルトはキッとその大きなグレーの瞳で睨みつけ
「きさまは、いつまでここにいるんだ。さっさと出て行け」
と言い、気まずそうに布団の中に顔を隠した。
その様子は、先ほどのアポロと同じで…。
コッペリウスは笑いを殺しながら、部屋を出て行き、RQは…
リヒャルトとリヒャルトに抱かれたアポロを、まとめて抱きしめた。
「まるで、あの2人と1匹は、母子と間男みたいだ」
兎兎の言葉に、コッペリウスは吹いてしまった。
「きみ、面白いこと言わないでおくれよ!私は鼻から麻婆豆腐を吹くところだったよ」
「ところで、アポロは隊員たちに大人気だね」
アポロは傷が治り、包帯をとった。
酷い傷跡だった。
だが、リヒャルトもその他の隊員もほっとした様子で、子猫の回復を喜び合った。
あいかわらず、リヒャルト以外にはあまり懐かない猫だが、どういうわけか人を惹きつける力が備わっているようだ。そういうところもリヒャルトに似ている。
そして、RQへの態度も変わらずで、近づくたびに攻撃をしかけている。
だが、どういうわけかたまに心を許す瞬間もあるようで、たまにその腕の中で寝たりしている。
こういうとき、RQは満足そうな顔で
「寝顔もあんたに似てるな」
などと言って、リヒャルトにも攻撃されているのだった。
「1匹SSG隊員が増えたということで」
「隊員というか、アイドルだね」
今日も、長官室にいるアイドルにプレゼントが届くのだろう。
END

