ー恋愛だったー
冬景色が本格的になってきたある日…。
この季節、曇りがちのイルミーネの空は、珍しく青々と晴れ渡っていた。
ドリー嬢から久々に便りがあった。
トトは、それまで本を読んでいたのだが、その本をパタンと閉じて、手紙の封を開けてみた。
宛名は、“国王陛下”ではなく“トト様”。
-この間から少し考えておりました。
-やはり、あなたは私を騙していたのです。
文面に捕らわれて、「違う!」と叫びそうになる声を止める。
-あなたにとって、私とはどういう存在だったのでしょうか。
-話をするだけの友人だったのでしょうね。
私は、君の話を聞いていただけなのだ。
-私は、あなたを軽蔑する。正直な気持ちで、裏切られたと感じている。
-あなたが、もしその地位を利用して、私を罰しようとするのならば、私はどこまでも逃げる。
そんな…私は、ドリー嬢にいつそんなに酷い仕打ちをしたのだろうか。
-もう二度とお目にかかりたくはありません。
トトは、手紙を閉じて、衝撃的な文面から目を反らした。
しばらくは、頭が混乱していて、フラフラと意味もなく歩き回った。
それに飽きてくると、ベッドに身を投げて、枕を抱いた。
そういえば、昔…
ジュールがここに来て、私に刃物を向けた。
彼の香りは、まだ残っているだろうか?
あの時、自分の顔の横に置かれていた手は、白くて華奢で…でも、節を見ると力強かった。
今のジュールの手は、もちろん、あの頃より大きい。
でも、印象はなぜか変わっていなかった。
ふいに、ドリー嬢との時間を思い出しかけたが、彼女の顔がどんなだったか、詳しくは思い出せなかった。
そういえば、3ヶ月以上も会っていない。
-私は、捨てられちゃったのか-
それらしく泣いてみようと思った。
涙は、うまく流れてくれた。
深く溜息をつきながら、トトは
「やっと、終わった!」
と呟いた。
そうして、彼女とのわずかな思い出の品々を、まとめてゴミ箱に捨てた。
「さよなら、私の恋」
突然、背中が軽くなって、トトは部屋から飛び出した。
「ジュール!!」
突然、国王が私室を訪れたと聞いて、ジュールはあわてて上着を羽織った。
「ジュール、ジュールはいるかい?」
国王は、これまで見たこともないくらいに明るい表情で、オレンジとワインを片手に走りよってきた。
「どう…」
なされたのか、と聞く前にトトはグラスを2つ持ってくるように、係に命じた。
「グラスのついでに、オレンジを切ってサングリアを作ってくれないかい」
この季節に、真夏のカクテルを飲むなどとは変わっている。
余程よい事でもあったのだろうか。
ジュールが首をかしげていると、トトは少しばかり寂しい表情で
「ドリー嬢に振られてしまったんだよ」
と言った。
ジュールは憮然とした表情のまま、
「私は、なんと言ったらいいのでしょう」
と返事をする。
「何も言わなくてもいいよ。今夜は振られ男の私と飲んでくれ」
「…慰められないかもしれません」
まったく表情を変えずに、ジュールが言うものだから、トトは笑った。
「そこにいてくれるだけでいいよ」
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大はしゃぎの末、トトは眠ってしまった。
わけのわからない事ばかり口走っていたが、ドリー嬢という人の話は一つも出てこなかった。
そうして、今、この部屋のベッドで安らかな表情で寝ている。
なんて、自分勝手な人だ。
ジュールは、呆れた。
同時に苛立ちが沸きあがってくる。
無理やりトトを起こして、睨みつけてやりたい衝動にかられた。
寝ているトトにそっと近づいてみると、よだれを垂らしているのが確認できた。
ジュールは、顔を顰める。
ここは私のベッドだ。
明日にでもシーツを取り替えてもらわねばならないだろう。
トトはむにゃむにゃ言いながら、ごろりと寝返りを打った。
「まったく…」
だが、憎みきれず、溜息が漏れる。
トトの額を撫でながら、ジュールは言った。
「なんて傲慢な人なんだ」
と。
ジュールにとっては、ドリー嬢の事などどうでもよかったが、トトの行動は酷すぎる。
だから、こうなる前にお断りすべきだったのだ。
しかし、トトの事だ。本気でドリー嬢を大切にしようと思っていたのかもしれない。
二人が一緒にいるところを見ても、ごく普通のカップルに見えたし、むしろ仲がよさそうだった。
・・・が、先が見えていた。
トトは、ドリー嬢を嫌いではなかったかもしれないが、好きでもなさそうだったからだ。
おそらく、トトはこれまで恋愛というものを経験した事がないのだろう。
嫌いではない相手と付き合い続ける行為を、恋愛だと思っているのかもしれない。
「だからって、私のところへ来るなんて酷すぎる」
ジュールは、自分が苦々しい笑みをこぼしているのに気がついた。
「本当に…」
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トトが目を覚ました時、目の下を青くしたジュールがソファに座って、こちらを見ていた。
「あれ、ここはどこだい??」
キョロキョロとまわりを見回すトトに、ジュールは溜息をついて
「私の部屋です」
と答えた。
「そういえば、私は昨日お酒を飲んで…」
「べつに、国王陛下が私の部屋で何をしようとかまいませんが」
ジュールの声は厳しい。
「陛下がご自分の私室に戻られないとなると、連絡を受けていない者たちが、混乱を起こします。
ご自分の行動に責任をお持ちください」
「ごめんなさい…」
トトはしゅんと下を向いた。
ジュールは明らかにイラだった様子で、トトが昨夜飲んだワインのビンを片付けた。
顔色が悪い。
「まさか、ジュール…私がベッドに寝ていたから」
「お気になさらずに、国王陛下。まさか、私とて陛下の横たわっていらっしゃる同じベッドに寝ようとは思いません」
トトは俯いたまま、何かボソボソと言った。
「ああ、そういえば。これから、タイア伯爵夫人が来られるそうです。陛下がご臨席されるとは聞き及んではいないでしょうが」
ジュールはあくまで涼しげな顔をして、係に朝食の用意と夫人のための茶の準備を命じた。
「私、…私は部屋に帰るよ」
ふらふらと絶望的な眩暈を覚えながら、トトは手を持とうとする係を振り払い、部屋を出た。
-やりすぎてしまったかもしれないな-
ジュールは、朝食を下げさせた。
さらには、全員を退出させて、すべての誘いを断わるように伝えた。
彼は、トトの涎のあとが残っているベッドに横たわり、静かに目を閉じた。
-ジュールは一度も私の名を呼ばなかった!-
堪えきれないものが暴れだしそうになり、トトは駆けた。
部屋に駆け込むと、パタンとドアを閉める。
今日は、もう誰も入れるつもりはない。
私は、何を喜び、何に期待していたのだろう?
「ジュールのバカ!」
「大嫌いだ!」
「ばか!」
身体中を熱い龍のようなものが暴れている。
「!!」
トトは声にならない悲鳴をあげながら、壁に頭をぶつけた。何度も何度も。
身体中の熱さを振り払うように、いたるところに体当たりを繰り返す。
-私は狂っている!-
鼻水なのか、涎なのか、涙なのか、それとも汗か、わからないもので顔面が濡れた。
何かに取り憑かれたように部屋中を駆け回り、鏡台を引き倒し、花瓶を身体に擦り付けた後、何事か大声で叫びながら、壁に向かって投げつけた。
「おまえなんか大嫌いだ!」
怒りは声になったが、嘆きは言葉にできなかった。
ジュールはきっと私を恨んでいたのだ。
そういえば、恨まれるような事しか覚えがない。
全部、全部嘘だったんだ!
泣き叫びながらも、頭の中でもう一人のトトがはっきりと言葉を発している。
-この優しさだけは消えない…-
「ジュージュ!ジュージュ…」
心も身体も壊されてしまう。
身体のすべての血が、自分の意思とは違う方向に流れるのだ。
「何もなければいいのに。何も知らなければ。何も起こらなければっ!!」
トトは、描きかけのキャンバスに向かっていった。
前振りをつけて…
バリッ!
頭でキャンバスを割った。
そして、その間抜けな格好のまま…
鼻血を垂らしながら、泣き続けていた。

