その日は、なんということもない日だった。
国王のトトは、朝の支度を終えるといつもどおり、書斎へ向かった。
大して忙しくもない、普段と変わらぬ午前10:00・・・。
イルミーネ城下で流行っている「小さなおじさん」という歌を頭の中で歌いながら、トトは書斎の扉を開けた。
「・・・」
いつもと変わらぬ国王の巨大な机が見える。
だが、昨日と位置が違うような気がする。
それに、いつもの重々しいカーテンの色も違う気がする。
黄土色だったはずだが、淡い若草色だ。
赤い絨毯も薄いクリーム色に変わっている。
「・・・」
トトは考えた。
はて?
ここは、こんなだっただろうか?
10秒ほど考えて、トトは思い直した。
・・・きっと、こんなだったに違いない。
だが、いつもと同じ歩幅で机に近づいたが、驚くほど遠かった。
馬鹿な・・・!
何かがおかしい。
いや、おかしいのは私の感覚かもしれない。
トトは入り口まで戻り、また机に近づいた。
やはり遠い。
トトはふと下を向いた。
たしか、昨日書類を落とした時は・・絨毯が赤かったような気がする!
トトは、目を見開いて、もう一度自分の書斎を見た。
ここは私の記憶にある私の書斎じゃない!
一度、そう思ってみると、もはや何も信じられるものはなかった。
もしかしたら、私は部屋を間違えたのでは?!
大慌てで、部屋の外に立っている護衛に尋ねた。
「ここは、誰の部屋だ?」
護衛は面食らったような顔で、
「国王陛下の書斎と聞いております」
と答えた。
ますますトトはパニックになった。
ここが国王の書斎ということは、私はひょっとしたら国王じゃないのかもしれない!
トトはガクガクと震えだした。
それは、言い知れないくらいの恐怖と不安だった。
私は、
今朝から国王だと思い込んでしまった誰かで、
どういうわけか、ここにおり、
ここを私の書斎だと思っているのだ!
私は一体?!
「思い出せ!」
トトは一人叫んだ。
私の記憶が確かでなくとも、きっと身体は覚えているのだ。
まずは、遠かった机のまわりをぐるりと回ってみた。
そして、木の匂いをかぎ、慎重に表面をなでた。
「大丈夫、覚えてる!!」
でも、その記憶は一体いつの日のものなんだろう??
昨日だと思っているが、違うかもしれない。
「わ、私は、とりあえずここに座ってもいいんだよね?」
革張りの椅子に恐る恐る腰掛けてみる。
昨日だって、こんな感じだった気がする。
しかし、ここに本物の国王がやってきて
「そこは私の席だ!」
といったら、私はどうされてしまうのだろう?
不審者として追い出されるのだろうか?
それ以上に、私は誰なんだ・。
「サプラーイズ!!」
突然、声がして長身の男が部屋に入ってきた。
トトは飛び上がり、
「ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったんだよ!!!」
と後ずさろうとして、尻餅をついてそれでも手足をバタバタさせた。
「どうしたんですか?」
「は・・・あ!!!」
トトは、喉の奥から悲鳴のような諦めのようなため息をついた。
この人、誰??
ジュージュに見えるけど違うかもしれない。
なにしろ、私の記憶はあてにならないのだ。
「あなたはーーーー!!誰ーー!!?」
「え、いやだなぁ。エイプリルフールはとっくに過ぎましたよ」
トトは、小刻みに首を振り始めた。
パニックは、頂点に達していた。
視線を外しすぎて、もはや白目をむいている呈のトト。
「ちょ・・・!ちょっと大丈夫ですか!兄上?!」
トトの耳にはそんな声は入ってこない。
この人が本当の国王に違いない!
さようなら・・誰だかもわからない私。
「兄上、あなたの誕生日だったので、書斎の模様替えをしたんですよ!昨晩こっそりとね」
ジュールは、困ったように言った。
まさか、兄がこんなに衝撃を受けるとは考えていなかった。
トトは、気分を落ち着かせるために、古くからの友人にもらった紅茶を飲んでいる。
「私は予想外に弱いんだよ」
そういえば・・・。
ジュールは思い出した。
だいぶ前。外出中にトトの傘の柄が取れてしまったことがあった。
普通ならば、「柄が取れた」と判断して、それは「壊れた傘」と認識されるはずである。
だが、トトは柄の取れた傘をさそうとして苦労をしていた。
トトの中では、確かに柄があったのだ。
しかし、現実には柄はなくなっていた。
だが、あったはずなのだ。
「なにかがおかしい」
あるべきものがない・・・。
だが、トトにはどこがおかしいのかが理解できなかった。
そして、きっと「自分がおかしいんだろう」という考えに至ったらしい。
必死に傘をあける動作をして、困った目をしてこちらを見ていた。
ジュールは、それがギャグだと思って笑ったのだが、やがて、トトが真剣に追い詰められているのに気づいた。
トトの眉間に皺がよっていた。
本気で悩んでいた。
「どうしよう・・・私は傘も使えなくなってしまった・・・」
トトは、そうこぼした。
トトが、現実に気づいたのはそれからだいぶたってからだった(約15分後)。
・・・・・・・・・・・・・・
「いい意味で驚かせようとしたんだけど・・・すみません」
「うん、大丈夫」
しかし、まだトトはパニック中らしく声が震えている。
「どうして、すぐに頭が真っ白になっちゃうんだろう?」
「変化に強い人と弱い人がいるんだと思う…けど」
ジュールとしても、トトがここまでだとは思っていなかった。
「しかし、まぁ。世の中にはいろんな人がいるものですから」
「そういってもらえると、ほっとするよ」
トトは答えると、書斎をもう一度見回した。
前よりも素敵な書斎になっているような気がする。
ジュールの趣味に相応しく、やわらかい中間色でまとめられている。
「初夏の風が頬を掠めるようなお部屋・・・」
恐るべき鈍感さを誇るトトは、幸いにも芸術肌の人でもあった。
感性が感情を補う形で、落ち着きを取り戻したようだ。
「変わるのが苦手でも、変化を楽しむってのもいいかもしれません」
「私は、変化は・・・一応好んでいるつもりだよ~ただ、日常が変わってしまうとドキドキするんだよ。でも、私も一つ歳をとったわけだし、書斎が若返ってもいいかもしれないね」
満足そうに笑うトトに、ジュールはあらためて言った。
「誕生日おめでとう!トト」
END

