ー私の中の私たち3ー
ジュールがトトの部屋に入ると、トトはぬいぐるみを抱えたまま、横になっていた。
「まる?」
トトの中の子供人格の名前を呼んでみる。
「あー、なんだこれ?本当にやんなる」
発した声は低かった。
レイだ。トトの中の強い男性人格。
「ぬいぐるみを買って欲しいと頼まれた」
「僕はそんなこと言っちゃいない」
レイは、ぬいぐるみをほおり投げた。
「ところで、薬は?」
「飲んでない」
「他の人は?」
「トトが飲んだ」
「じゃあ、同じじゃないか」
「でも、やめるように意識を持っていった」
「トトに話しかけなかったのか」
「話しかけても無駄さ。実のところ、トトは僕たちの存在を認めていない」
これは、初耳だ。
レイはもう一人のトトで、レイと一緒にいたトトは行方が知れず、今のトトはトトの一部だというが、連絡が取れないとは知れなかった。
「トトだって聞こえていないわけじゃないだろうさ。だけど、こちらの存在を拒絶している。
今のトトも、前のトトも。”レイ”の存在は表に認められていない。
たとえ、今までにトトが記憶のない行動をしていたとしても」
自分と相反する人格が自分の中に在ると認めるのは容易いことではない。
誰だってそうだ。
嫌いだと思っている人物を受け入れようとしているもう一人の自分に気づいたら、拒絶してしまうように。
本来、誰も複数の人格を持っている。
だが、それらが一斉に別々の自意識を持ってしまったら、個人の個人たる証はどこにあるのだろうか?
自分だという認識はどこに帰属するのか?
一つしかない身体は一体誰のものなのだろう。
そして、外界との繋がりは均一ではなくなってしまう。
親友は忘れ去られ、恋人は他人となって…。
今のトト、レイにとって、私は…?
「トトを返してくれ」
「そう言われてもね」
「私の愛したあの人を返してくれ!」
「そう言われても…」
レイは薬をやめると言っていた。
この現象はレイ一人のせいではない。
だが、一度噴き出した感情はとまらなかった。
レイの胸倉を掴みあげた。
この男の人事のような態度。
冷静な顔の裏側のどこかに苦しんでいるトトがいる。
「早く、あの人をここに出せ!」
「僕だって、どうしたらいいのかわからないんだ。あんたも医者だっていうなら、この人を元に戻して、皆が納得する形で終わらせてみろ!やぶ医者め!」
「なんだとっ!!」
こんなふうに、真っ直ぐな視線で非難されたのは初めてだった。
サングに対峙する時とは違う、単純な熱さだけの怒りがこみ上げる。
「どこまでバカなんだ。離せよ。出来の悪い弟が!」
「うるさいっ!」
私たちはそれから数刻の間・・・ずっと言い争っていた。
やがて、お互いの声が枯れるまで。
トトとは、これほどの喧嘩をしたことはなかった。
なのに…どうしてだか、ドアを乱暴に閉めて外に出た時、妙な爽快感に包まれた。
それに、レイとは会って間もないのに、どうしてこんなに懐かしいんだろう。
それから、数日後。
あれから、トト(レイ)と顔を合わせづらくて、なんとなく避けてしまった。
表向きのことはレイとお姉さんがうまくやっているらしい。
だが、いつトト(トトの記憶の一部)がきちがいに襲われるとも限らない。
他の人格たちが止められるのはどこまでなのか。
限界だ、とレイは言っていた。
それにどうもレイの知らない人格もいるらしい。
私は、トトのそばを離れないほうがいい。
理性ではわかっているものの、どうも自分の中のどこかが依怙地になってしまっているようだ。
・・・しかし、このままにはしておけない。
自室を何周も歩き回った末に、トトをたずねることにした。
また、顔を合わせると喧嘩してしまうかもしれないが。
部屋に入るとトトは再びぬいぐるみを抱いてぼんやりしていた。
「レイ?」
「ううん。レイはねぇ、難しいお話なの」
これは”まる”だ。子供の人格。
「これを解けたら、褒めてね。喜ぶから」
この子の話し方は少し変わっている。
自分と他人の区別がないというか…。
まるは、私が買ってあげた幼児用の迷路に挑戦している。
真剣な眼差しは演技でもなんでもなく、この子が子供だと示しているようだ。
子供は、自分のまわりしか見えない。
やがて「できた!」とまるが叫んだ。
そして、自分の手を自分の頭に、ちょんと乗せる。
そのままじっとしているので、「何をしているの?」と聞いた。
「褒めてあげているの。喜ぶから」
やはり、変わっている。
まるは、何かに気づいたような視線でこちらを見て、私の手を取った。
そして、それを自分の頭に置く。
「こうやって撫でて。喜ぶから」
言われたとおり撫でてやると、にんまりと笑った。
そうして、両腕を伸ばし「抱っこ」とせがむ。
トトが小さな人でよかった。
両腕で抱えると、やはり、かなり痩せ細っていた。
「背中を撫でてあげると、嬉しい」
「うん」
言われたとおりにすると、まるはうとうととし始めた。
この子は、何をしたいのだろう?
今のトトは、トトの辛い記憶だとレイは言っていた。
では、この子の行動は、言動の意味は?
この子といると、私はまるで親の代わりをさせられているような気持ちになる。
どうして、この子は自分で自分の頭を撫でて褒めなければならなかったのだろう。
これはトトの親がトトにしていた行動なのだろうか?
だとしたら…。
子供のはずのまるは、一度も親を呼ばない。
この子は…親を知らない。
自分の中の考えに一瞬ぞっと背筋が冷たくなった。
親の行動、言動だけ知っているのに。
この子の中に失った両親は存在しない。
サング、私、両親…。
今のトトの中に悲しい思い出は存在しない。
いや、悲しい記憶だけ別人格として切り離してしまっているのだ。
まるの穏やかな寝息が悲しかった。
嘘みたいに明るい無邪気な笑顔が、以前聞いたトトの悲しい思い出と重なって写った。
まるの寝顔を見ながら、前に教師が見るように言ったノートを手に取る。
この前、レイが手にとって見ていたので表紙を覚えていた。
ちょうど、ベッドの横に置いてあったのだ。
教師が言うことが確かならば、トトの中のトトたちはこのノートでお互いの連絡を取っている。
分断されつつある記憶のために。
この中に何かヒントがあるかもしれない。
ノートを開いた。
その中に書かれていた最初のページ内容を読んでいるうちに、手が震えてきた。
サングが去っていったことなど一言も書かれていなかった。
ひたすらに、ただ、ひたすらに…
「ジュールに見捨てられたトト」
について書かれていた。
それに、このノートはトトが薬を飲み始める前から書いていた日記だ。
決して、人格の連絡用のノートではなかったのだ。
こうなる前までは。
トトは綴っている。
ジュールの気持ちがわからないこと。
酷い視野狭窄の症状が出ていること。
眩暈と頭痛で何日も眠れないこと。
そして、精神科医を呼んだ。
薬を飲めばきっとよくなると信じて。
その日の様子が書かれているが、診療の仕方がかなりひっかかった。
もちろん、医者として。
「眠れないなどの症状を簡潔に話す。すると、知らない薬をたくさん渡された。副作用のない安全な薬だと言う。皆これを飲んでリラックスした気分で眠れるようになったって。気分が悪くなっても、それは一時的なものだから、飲み続けるようにって言われた。
そうなのかな?でも、これでやっと楽になれるんだ」
その何日か後の日記。
「眠れる薬を飲んでいるのに眠れない。たくさんの人の声が頭の中でずっと話している。私は、はたして誰だったんだろう?こんなことを考えるのはおかしい。でも、昔のことが思い出せない。私以外の誰かが私の中にいるみたいだ。
ジュールがやってきた。一瞬誰だかわからなかった。だから、記憶を手繰ってどうにか思い出せた」
続いて、短い言葉。
「頭が痛い。割れそうに痛い。お腹が痛い」
次のページからは酷く乱れた文字で書いてあったので、ひとまず飛ばした。
次のページ。
いきなり、理路整然とした美しい文字。
「私の意識」から始まる不思議な文章。
「それぞれが異なる仮面をかぶっているような。誰にでもあるもう一つの心の声が強く主張しているのだろうか。私が仮面をかぶったり、役を演じたりという意識は薄いのだが、変身するといった方があっているのかもしれない。
それが自分の意思ではどうにもうまくいかないのと、ある規則性に基づいている事。それらの人々がまるで個々の性格を持っている事が、異なる自分(役割にあわせて)を出しているというものとは違うと思う。私の中心はたぶん子供で、弱い性格の子供で、その自分を、守るため、世の中でまぁまぁうまく生かすために、私たち個々人がいる事。
それがたとえば、誰かの前では控え目な私と、仕事には強気な私とかいうふうに分かれているわけではなく、それらがすべてばらばらに意識を持つ事。
他の人がした行動に対しては認識を持っている場合が多い事。
しかし、なんでそれをしたのかまるでわからない事。が特徴だと思われる。
ちゃんと記憶をもっているところは、人格がバラバラになっているとかではないと思うが、意識の上で一人の中の心が、バラバラに意見を発している。
もしくは異なる性別をもっていたり、性格が極端に違うと困るのである」
トトは自分を分析していたのだろうか?
だが、不思議なのは文体ばかりではない。
その前のトトの日記とはあまりにも文字が違うのだ。
こういうのもなんだが、トトはあまり字が綺麗ではない。
何度も見たから知っている。そして、ノートを美しく使う人物でもなかった。
この文章は一行づつ開けて丁寧な文字で綴られている。
まるで、誰かに読ませるのが目的のように。教師の書いたもののようだ。
「教師」…私の前に初めて「人格」と認識を持った上で名乗ったトトの中の人格。
変身という言葉が気になった。
次のページは、私には辛かった。
トトがこのようになった原因が綴られている。
同じく丁寧な美しい文字だ。
ジュールにとって、一時の慰めにしかならない自分に傷ついて、トトは消えさった。
そのかわりを教師?と思われる人物が行っている。
不眠不休で働き続けていると書いてある。
「私たちの意識は、トト本人が服を着て歩いているようなもので、まるで別の人格というわけではなく、記憶や習慣などは一致しています。
意識や考え方を別々にもっているので、行動に障害が生じているのです」
ふと、思った。
ここに書いてあることが真実なら、なぜ教師は私に薬をやめさせるように言ったのか。
それに、教師はここまで冷静に分析していたという感じはしないのだ。
ならば、これは誰だ?
加えて言うならば、これを書いたのが誰にしろ、この内容を読むとトトは完全に分裂しているわけではない。
内部で枝分かれしていっているイメージだ。
次のページ。
また字が変わった。いや、字は似ている。書き方が変わった。
箇条書き。
1、眠れる薬を飲むと気分が変になる。
2、私が表に出た事。それによって、自分として生きられないと自覚した事。私たちが分裂した事。
トトが死ぬ事しか考えられなくなった事。私たちが止めている事。私が眠れなくなった事。トトはめったに出てこない事。もう誰も信じられない事。今の状態を幸せだと思い込ませている事。そのたびにダメージを受けている事。
ところが、そのページの片側には、同じような文字で同じような書き方で違う内容が書かれている。
1、睡眠薬を飲むと眠れるけど、気持ちの動きが激しくなる事。
2、トトが鬱の理由。このまま生きる事が不可能。
彼のジュールに対する感情はあまりよくない事。
女の人たちはジュールを信じている事。
レイがずっとトトを守ってきた事。
初めて、ここで人格の名が出てきた。”レイ”
次からは、酷く文字が乱れている。
そして、とても長かった。
レイが書いたものだ、とわかった。
彼が話していた内容と違わぬ説明から始まっている。
「私たちはこの人を守るためのペルソナ。皆、この人の一部。
だが、僕は違う。どうして違うのかわからない。
ただ、トトを中心に生きていくのがこの人の幸せ。
僕は、トトを傷つける奴は許せない。同時にトトを喜ばせられる奴も許せない。
自分へのコンプレックスなのだろう。僕の望むものは手に入らない。
だが、トトが幸せになれるのならかまわない。だから、姿を現さなかった。
この人の裏側で、トトのそばにいるどんな奴にも優位に立てると主張していた。
僕は誰よりもトトのそばにいる。
僕のかわりにトトを愛せる相手に対しては、対抗と競争と協調の入り混じった感情を持っていた。
(中略)僕がずっと出ているのを気にして、トトは僕を閉じ込めるために薬に手を出した。
その結果、他の人たちが自分の主張を始めてしまった。僕も意識と記憶の部分で他の人と壁が出来始めている。主要メンバーは記憶をどうに繋げているが、僕はずっと出っ放しでそろそろ疲れてきた」
次は、誰だかわからない。
「ムズムズする。身体がいっぱいムズムズする。身体がモゾモゾする。
手足が勝手に動き出して気持ち悪い。
レイが「落ち着け」と言って…レイが疲れたから、私が元気になりすぎたのだとお姉さんが言っていた。頭を使うとムズムズするんだと思います。いっぱいムズムズするからしゃべりたいのに、レイが薬を飲ませたのです。何をするかわからないからだと言っていました。
消されちゃうのは怖いの。
私は私なんだよ。
レイがいつも怒るのは好きじゃないけど、レイの描いた絵は寂しくて見ていられません。
皆、消えたくないんだよ。ジュージュは優しい。暖かいところで眠らせてくれます。
私は薬で眠らされそうになりました。
私もレイと同じで眠らされていつの間にか消されるのが怖いのです」
まるなのかもしれない。
レイの飲ませた薬とはなんなのだろうか?
まるなのか、この人物は躁状態だと思われる。
それを止めるためなのか。
次は、レイの日記だ。
「薬をやめるようにとあねごに言われた。あれがないとコントロールが利かないかもしれない。
分裂したのもあれのせいかもしれないが、一度割れたものを主要メンバーだけでコントロールするには、薬が必要。
今、一番困っているのは、僕が出っぱなしで疲れている事だ。僕が倒れたら、トトの上にすべてがのしかかるかもしれない。そうなったら危ない。トトは危険な状態なんだ!
僕とあねごで止めているけれど、コントロールできないのが現れたら、どうなるかわからない。
以前、僕がずっと出ていた期間は、乱暴な教師にトトが殴られ続けていた時期だけど、実際に殴られた意識を持っているのはトトのほうだ。それ以来、トトは成人の男性を恐れている。僕にはその感情はわからない。
僕はそれから、ずっと中にいた。後ろから見ていた。今はとても疲れている。もう何日寝ていないだろう」
それからは、不思議なことにページの順番が逆になっていた。
ノートを後ろ側から捲り返す。
突然、おどけたような口調の文章から始まった。
「私だってねぇ、困っているんですよ。でも、物書きにはよくある現象じゃないですか??」
それからは、レイが話していなかった事実が書かれている。
「だって、レイだって分裂しているんですよ。その中には別の人がいるから」
レイが分裂している?
だけど、その文に平行する形で書いてある文章には、さらに悲しい事実が記してあった。
「トトが期待しているものに裏切られるとレイが出てきて助けてくれるのね。でも、身勝手なことにトトはそのあと落ち込むわけ。トトは中心部で泣くわけだ。「私はどうしてこんな行動をしたのだろう」って。
でも、レイはトトを助けるために生まれたんだよ。トトを守るために存在しているのに、トトは泣いてばかりいる。ずっとずっと泣き止むことがない。
レイはトトを愛していて、一番憎んでもいる。
彼の行動は、トトとは真逆だから、トトを傷つける。
トトは自分のためにレイを消そうとしている。
「ジュールを愛しているから」
だから、女を愛しているレイは必要ないんだよ。
ジュールに興味のないレイはいないほうがいいんだよ。
でも、レイもそれを望んでいる。なぜなら、トトを幸せにするために生まれてきたのがレイだから。
でも、レイ自身もどうしたらいいのかわからない。消えたいのに消えられない。
それは、トトも本当はレイを必要としているから、愛しているから。
それを、レイが知っているから。
レイはジュールが好きじゃない。
トトを泣かせたから、悲しませたから。
それでも、レイは「私が幸せにしてあげるよ」とは言えない。
だって、そうしたら、トトは一人ぼっち。
だから、レイはジュールに再び賭けた。
「決して見捨てさせない」それを条件にして 。
レイは、ジュールを弟としてしか見られない。
それでも、トトを救えるのは自分でなくて、ジュールだと知ったから」
最後の文章を書いたのは、トトだ。
直感がそう告げていた。
トトはレイの存在を拒絶している。それなのに…レイのすべてを知っている。
いや、だからこそ…トトでしかありえない。
双子のように背中あわせの人格だからこそ。

