ー私の中の私たち2ー
レイには、思ったよりずっと早く会うことができた。
次の日、トトの部屋をたずねてみるとリーチェ公夫人が出て行くところだった。
「おや、アルキュード候」
「国王陛下のご様子にお変わりはありませんでしたか?」
今の状態を、一番見られたくない人に見られたかもしれない。
だが、夫人は落ち着いた様子で答えた。
「あいかわらず、お痩せになっておられますが、わりとしっかりなされていて・・。あとはご体調を治すのみでしょう」
「そ、そうですか」
夫人が出て行った後、ジュールはトトのベッドのそばへ行った。
「ふぁぁ~」
トトは欠伸をしている。
「ああ、アルキュード候。息災でなによりだ」
「あなたは誰だ?」
「トトだよ。ほら、見てわかるだろう」
「あなたが演じているのでなければ」
「姉御が話したんだな」
トトはすっと目を細めた。いつもの茶色い柔らかい色はない。鋭い射るような瞳だ。
「すると、あなたがレイ?」
「そう・・・呼ばれたりもするけれど、本当のところはわからない。レイと名づけたのは姉御だから。従兄妹のレオーネに似ているからって付けられた。ふざけた話だよ。レオーネよりもっと前から存在しているのに」
レオーネより前から存在している?
トトの人格が割れたのはごく最近のことだ。
「アルキュード候。きみが謎解きをしたいのなら、できる範囲で付き合ってやってもいい。だが、条件がある。この人を決して見捨てないと誓えるか」
「ずっと、そばにいると誓う。私にできることがあれば…」
「破ったら、僕はあんたを絶対に許さない。何が何でも表に出て痛めつけてやる」
レイの一人称と口調が変わった。
本来はこういう人なのかもしれない。
トトの中の強い男性人格。恋愛対象はトトとは逆だ。そして、薬をやめることを拒絶するかもしれない人物。
「あんたは、僕と姉御とまると教師が、一緒くたに出現したと思っているだろう。でも、本当は違う。僕の古い記憶にあるのは、トトと僕とかごの中の小さな子だけ。3人しかいない世界だった」
「それはいつ?」
「いつからか、はっきりとしたことは言えない。両親が死ぬ少し前。
その時から、かごの中の小さな子はしゃがみこんで一度も出てこない。話しかけられもしないし、話してもこない。あの子とは意思の疎通が不可能だ。ただ、怯えて閉じこもっている。あの子がたぶん根にある人物」
レイの話し方は落ち着いていた。
普段のトトよりも声が少し低い。
昔、トトに聞かされた自叙伝的小説の中で「臣下を射すくめた王太子」にどこか被る。
「僕とトトは別の意識を持ちながら、身体を一つにして生きてきた。シャム双生児のように。
僕は、トトの行動をいつも内側から見ていた。だから、はっきりとじゃないが断片的に記憶がある。
トトが動けなくなった時、この人の身体を動かしていたのは僕だ。だが、感情が伴っていない。人形を動かすように立たせ、歩かせていただけで。その時の感情の部分だけが抜け出したのが今のトト」
「?」
「僕と一緒にいたトトじゃなくて、今のきちがいに襲われて泣いてばかりいるトト。あれはトトの一部。嫌な記憶と悲しい感情。最近になって、元のトトがいなくなった。
気が付いたら、僕はトトから引き剥がされて感情と記憶と個性を持たされていた。まわりにはいろんな奴がいて、話しかけてきた」
これが事実なら、レイはもう一人のトトということになる。
確かに…レイ、そう呼ばれたりもすると言う彼の台詞に納得がいった。
「まるには会った?」
唐突にレイが問いかけてきた。
「誰?」
「妙に明るくて、実は怖がりの子供だよ」
そういえば、ジュージュと呼んだ子供みたいのがいた気がする。
「普段は、私とまると姉御で話し合ってどうにか行動している」
レイの一人称がまた変わった。
「その前は、私がたまにトトを演じてた。今も演じている。だから、どうすればトトのように話せるのか、トトのように振舞えるのか、なんとなくわかる」
「それでは、トトは初めから2重人格だったというのか?」
「違うよ、3人」
レイは指を3つ立てた。
「だからといって、3重人格じゃない。一人は閉じこもりっきりで、僕は自意識がこれほどはっきりとはしていなかった。表向きのこの人はトトだったから」
いつも見ていたトトの裏側にいた人物がレイ。
「トトはトトがなりたかった一番ノーマルな姿。僕は、トトがなりたくなかったもう一人のトト」
男性として女性を愛し、強く、冷静で…なぜ、トトはレイになりたくなかったのだろう。
「かごの中の小さな子がより多く守られ、愛されることを望んでいたからじゃないかな?僕は嫌われ者だし」
そう言うとレイは皮肉な笑みを浮かべた。
「サングという人物を知っているか?」
「知ってるよ、トトの友達。騒がしい奴」
「サングがトトの前から姿を消したせいで、トトがこのようになったと考えている」
「どうかな?それは、姉御が言ってきたけど、この中の誰もサングについての感情を持ってないからわからない。トトの感情を持っているのが誰だかわからない。
姉御は、あの人は女性だし。まるは、あんたに甘えたがっているけど、恋愛というわけでもなさそうだ。面白い遊び相手を見つけたという感じ。僕は、トトの記憶があるけれど、あんたに対する感情はわからない。だが、たぶん、トトはあんたが好きだったんだろう」
淡々と述べられる言葉に、胸が痛くなってきた。
トトの中の誰もが、私とサングについての感情を失って、あるいは、知らないことになっているのだ。
「トトは、もとに戻るのか?薬の効用は?」
「今のままではなんとも言えない。薬を飲み始めてから、割れたのは確か。もともと割れ始めていたとしても、薬を飲むごとに、僕も記憶が飛んで、まわりとの意思疎通ができにくくなっている。うるさいなっ!」
突然、レイが叫んだ。
「姉御が交代したがっている。もう少し、話があるのに。別におかしな方向にはすすめねぇって!」
「コントロールできそう?」
「・・・少し、ひっこんでてもらった。薬はやめるよ。やめるつもりだ。ろくなことにならない。
あー!こういえばいいんだろ。だが、薬をやめた時、制御できる保障があるのか」
レイは、私と同時にお姉さんと話しているようだ。
「今まで、この人をコントロールしてきたのは、僕と姉御だって言ったな。このコントロールができなくなると、トトがきちがいに襲われても、どうすることもできないかもしれない。今の時点で限界だ。ともかく、皆で入れ替わり立ち代りして、トトを引っ込めて保護するようにしているのに」
「実は、あなたが反対していると言う意見を他から聞いたのだが、それにはそれなりの事情があったというわけだな」
「当たり前だ!トトのダメージは、この人のダメージだ、この人の身体が殺されたら…」
「昔も、そんなことがあったと聞いている。トトはそれを影と呼んでいた。影ときちがいは同じ?」
「影は、トトの罪悪感であって、人格じゃない。きちがいは人格だ。しかも、誰も制御できない。意思疎通も図れない。…もしかしたら、意思疎通が図れるかもしれない奴がいるにはいるようだが、僕はそいつの存在を知らない」
「他の誰かが知っていると?」
「ノートに書いてあった。長い名前の気持ち悪いふざけた男。ピエロとか道化師とか呼ばれているらしいけど、本名は違うらしい。トトが襲われるのを見て嬉しくてたまらないらしい。そいつのページの次に、きちがいが描いた文字が残っていた。たぶん、あいつだと思う…死ねとか切り落とせとか、ノート一面に」
そのノートは?と聞く前に、レイがノートを開いていた。
「?思い違いか?そんなわけがない」
ノートには、乱暴に引きちぎられたあとが。
「誰かが、引きちぎった・・」
「誰が?」
と問うものの、レイは何度もノートをめくって確かめている。
「私じゃない…私の知っている誰かじゃない・・・」
一人称が変わったと同時に、レイの顔つきがきょとんと変わった。
「ジュージュ?」
「まる?」
「うん。ジュージュは寝るためにここに来たんだよね?ぬいぐるみをたくさん持ってきて!その中で寝たい!」
「今は、ないんだよ」
「じゃあ、明日買って!」
「レイはどこに行ったの?」
「知らない。難しいお話・・・」
トコトコと小股で歩いて、まるはベッドに横になった。
「あったかいようにして。本を読んで。おやすみのキスをして」
「ん…」
今までのレイとの話とあまりのギャップに頭がうまくついていかない。同じ顔の同じ服を着た同じ人物が、声の出し方も、話し方も、態度も違ってしまっているのだ。
しかたなく、一緒に横になり、そばにあった本を手にとる。
「絵本がいいの」
「この本にも絵はついているよ」
じっと、茶色い瞳が景色の絵を見て話を聞いている。そのうち、うとうとしてきた。
「ここで寝てね。あったかいから。もう寂しくないよ」
少し理解に苦しむ発言のあと、まるは身体を丸めた。
しばらく寝息が続いていたので、ゆっくりと抱きしめた。
昔…サングが結婚した日にこうしてトトを抱きしめたんだっけ。
遠い昔のことのように思われる。
あれから、私はトトに酷い強要をさせた。心が壊れていると見せかけて。
しかし、壊れたのはトトだ。
思えば、私たちはお互いに長い旅路の果てに、ここに来た。
それぞれに辛い思いがあった。
悲しい過去を持っていた。
私は今まで自分しか見えていなかったのかもしれない。
愛すること愛されることに不器用なのは、トトだって同じだ。
この人だけが幸せだったんじゃない。
壊れる寸前の心を、友人との信頼感で守ってきたに過ぎない。
私のように都合のいい嘘がつけるように出来ていない。
バラバラになった人格たち。
でも、それらは皆どこかトトに似ていた。
トトを傷つけるもの、トトを守ろうとするもの。
口調も話し方も性格も何もかも違うのに。
いつの間にか、トトの寝息がとまっている。
「つらい」
声がした。
「誰?」
「助けて」
声を押し殺すように、布団の中で誰かが泣いていた。
「助けて」
直感でわかった。
これはトトだ。
でも、悲しい感情だけのトトじゃない。
私に身体を寄せてじっと泣いている。
私のことがわかっている。
それきり声はしなくなり、涙も止まった。
そして、また静かな寝息が聞こえてきた。
この人が元に戻るかどうかはわからない。
でも、その時、ほんのわずかに光明のようなものが見えた気がした。

