-せめて、ひとさじの優しさを-

イルミーネ国の物語

今年、イルミーネ国は猛暑に見舞われていた。

「信じがたい暑さだよ」
これは、たまたま国王トトの発言だったが、この国に住んでいる者ならば皆同じ発言をしたに違いない。

「どこかにおでかけしたいのに~」
ここのところ、トトはもろもろの件でストレスを溜め込んでいた。
少し疲れている時にでも、トトは外出したがる。
いつからか、ストレスを発散させるには、無理やりにでも外に出るという選択をし始めていた。
昔は、まったくインドア派だったのに不思議なものだ。

それに、ここのところ…こう…心がささくれだっている。
これはトトだけなのだろうか?
暑さのせいなのだろうか?

そういえば、最近描く絵はどこか冷たい。
トトは趣味で小説を書いたりもしているが、これも何かツンツンした雰囲気だ。

トトは、原因を考えてみたが、たくさんありすぎた。
まわりの人々の考え方が理解できない。
自分は、時代についていけてないのだろうかと、不安にもなる。
こうであればよかろうという想いは、なぜかうまく伝わらない。

臣下との会議でも。
プライベートの場所でも。

一体、何が起こっているのだろう?

そう思うたびに、孤独を感じる。

一方、こちらは王弟ジュール・アルキュード公。
彼は、最近まわりで起こった一連の騒ぎについて強い不快感を示していた。
(些細な事と言ってしまえば、それまでなのだが、間に何人も入っているため、事態は予想以上に大きくなっていたのだ。)
もちろん、この暑さに対しても。
彼は暑いのが特別に嫌いな人であった。

そのせいか、トトのそばにいてもどこか遠くを見ている。
口から出る言葉は、厳しい。
無論、トト一人に向けているわけではないだろうが、どこかツンツンしている。
ジュールは、もともと厳しいところがあったし冷徹な部分もある人だったので、トトは気にしないようにした。
と、いうよりもその彼の個性が身体にしみついていた。
ジュールが冷たくいてくれるからこそ、自分もしっかりできるのだと、トトは思っていた。

「お出かけをするぞ」
これまた特別暑い日にトトは宣言した。
「…そうですか」
国王のソファにだらりと座ったまま、ジュールはやる気のなさそうな返事を返す。
「私一人でもいいんだ」
「そういうわけにはいかない・・・・」
青白い顔に不機嫌を滲ませながら、ジュールは答えた。

そういうわけで、二人はまたかの地、鎌倉に来た。
「なぜかあまり暑くないよ」
トトは、北鎌倉駅の前で呟いた。
「ン~本当だ」
ジュールも目を丸くする。

「私は、おなかがすいてしまったんだよ」
トトが、いつものように呟いた。
ジュールは、いつものように笑った。

それまで二人は無言だった。
どういうわけか、口をきく気にならなかったのだ。

二人は、駅のそばにある蕎麦屋に入った。
トトは冷やしととろそば。ジュールは山菜そばを頼んだ。
トトは無言でそばをすすり始めた。
ジュールも無言で食べている。

そのうち、トトのつけ汁が途中で少なくなってしまった。
とろろは、そばによく絡むので、そのせいだったのだが…。

…お汁がもうない。
まぁいいや。食べられないわけじゃない。
トトは言葉に出さないままに、そばを食べようとした。

その時、お店のおばさんが「まぁ!お汁がないじゃない!」
と声をかけてきて、トトのお碗を持ち店の奥へ。

「ほら、たっぷり入れてきたからね!」
「…ありがとうございます」
たっぷりとお汁が入った碗を見て、トトから自然に微笑みがこぼれた。

「本当にありがとう!」

ジュールもそれまで無口無表情でそばをすすっていたのだが、自然に肩の力を抜いた。
すると、ゆっくりと吐く息とともに笑みがこぼれた。

「トト、よかったね」

それは、トトが本当にひさびさに見るジュールの表情だった。

ジュールは…こんな表情をしていた人だったんだ。

トトは、自分が何か大切なものを置き忘れていたような気がした。

しばらくすると、隣の席に外国の旅行客がやってきた。
メニューについて、さきほどのおばさんが必死に説明している。
幸いすぐに理解しあえたようだ。
箸が使えなければ、フォークでも…と、もう一人の店員の女性が声をかける。

トトは、その様子を見ていた。
とても落ち着いた表情で、見ていた。
隣に座っているジュールは、急に懐かしさを覚え始めた。
どういう種類のものかまでは説明できないが。

二人は「とても美味しかった。ごちそうさま」と言って店を出た。

「ありがとうって、自然に零れ落ちる涙みたいに出てくる言葉だったんだね」
すぐそばの建長寺に寄ろうという事になり、道を歩いていたトトがポツリと呟いた。
「私は、何かを失ってしまっていた気がする」
ジュールは言った。
この季節にしては、爽やかな風が通り過ぎていった。
木漏れ日が優しいと感じたのは、久しぶりだ。

「言う事に捕らわれすぎていた」
色素の薄いアイスブルーの瞳が、澄んだ水面のように木々を映し出す。
「私は、言えない事に捕らわれていたよ」
トトは、いつもどおりに下を向いたまま話した。
「でも、私達は失ったんだじゃなくて、大切なものを忘れていただけ」

「今日、ここに来れたのも、あそこで美味しくおそばが食べられたのも、こうして二人で歩いていられるのも、奇跡のように嬉しいこと」

二人は仏殿で手を合わせ、すべてのものに感謝した。

その後、トトが仏殿近くのベンチに腰掛けたので、ジュールも隣に座った。

「今日は、ここまで一緒に来てくれてありがとう」
「ううん、一緒に来てよかった。しばらくここでこうして座っていたい。いいかな?」

ジュールの頭の中を、最近の出来事が流れ始めた。
困った事態をどうにかしようと努めて、余計に悪くなっても、引いたら負けだと思う。
ならば、動かずにいるしかない。
そんな間にも、この耳には煩わしい声が出入りしてくる。
一線引けない関係っていうのもある。
だから。
すべてを捨ててしまいたくなる事も。
誰にも関わりたくない事も。
でも、やっぱり一線引けないんだよな。
この人が言ってくれる、そういう期待をされているのも知っている。でも。
自分を主張しなければ生きていけないって…とてもめんどくさく、寂しいことじゃないか。
…まわりが私に期待する役割は、きっとそうで。
私が、まわりに求めている私もきっとそのようなものなのだ。
だから、私は…。

気がつくと、トトが下を向いていた。すごく下を。足元を覗き込んでいる。
「どうしかしたんですか?ご気分でも…」
「ありんこがケンカしてるんだよ」
見ると、足元に蟻がいた。

獲物を2匹が運んでいる。
2匹ともが違う方向に進もうとしているために、まったく前に進まない。

「だめだよ。こんな事しちゃ」
トトが言った。
「気持ちはわかるけどね」

すると、もう1匹が現れた。
それは、2匹を同じ方向に進ませるべく、双方に声をかけているようだ。
なかなかうまくいかない。
でも、少しずつ進み始めた。
途中で止まったりするが、少なくとも方向性は見えた。

「人間と同じだ」
トトがいう。
「ダメだよ。お互いに意地を張ってばかりじゃ。何も変わらないよ」

「不思議にも教わる事ってあるのかもしれないね」
ジュールが空を見上げた。トトも同じように見上げる。
「私たちの小さい力ではどうにもならない事もあるけど、神様がきっと守ってくれる。
そういえば、あの先導者のありんこはジュールみたいだね」
「え?私?」
ジュールがまた目を丸くした。
「きっと、強くて優しいんだよ」
「私は、あんなにせせこましくない」
ジュールの発言にトトがプッと噴き出す。

二人は、建長寺を出て線路沿いを歩き始めた。
「本当に、今日一緒に来てくれてありがとう」
日傘の下からトトが言う。
「思ったより暑くないのは、ここに来いと誰かに呼ばれたのかもしれないから…」
トトが見上げると、嬉しそうに微笑んでいるジュールがいた。

トトは「途中でアイスクリームを食べるんだ」と言っていたが、残念な事に店は閉じていた。

すぐその先にもお店が見えたので、そこを目指した。
自然光がうっすらと差している趣のある和風の店構え。
あんみつを頼むものの、みつ豆しかないと言われ、トトはみつ豆を頼んだ。
ジュールはコーヒーを頼んだ。

「よくこんな季節にホットなんて飲むね」
「なんとなく、習慣というものかな」
「習慣!習慣といえば、私は今日お酒は飲まないんだ!」
「なるほど、その理由は?」
ジュールがからかうような視線でトトに聞いた。
「私は、最近お酒があまり好きではないんだよ」
「昨日飲んでいるのを見かけましたが…」
ジュールはわざとらしく怪訝な顔をした。

「あれは…付き合いだよ。でも付き合いで飲む酒なんて最低だよ」
「だいぶ酔っているようにも見えたけど」
「一度飲むと止まらないんだけど、それでも美味しいお酒ではなかったよ」
トトは意味もなくみつ豆をかきまぜながら答えた。

夏の日差しが、キラキラと透明な皿の中で光り、水溜りのような情景を映し出していた。
みつ豆の寒天は、水を固めて作ってあるのだ。
誰もが知っている事実が、この季節には妙に風流に感じられてしまう。

「“涼しげ”をいただいているの」
トトは言いながら、「みつ豆はあまり美味しくないって聞いていたけど、美味しいじゃないか」
と感嘆の溜息をもらす。
「このお豆がいい具合の塩加減なんだよね。これが甘かったらどうなるんだろう?」
「みつ豆じゃないでしょう。ここで締めているから甘みが爽やかに感じられるんだ」
ジュールが答えた。

トトは、この素晴らしくまろやかな味の豆を、ぜひともジュールにも味わってもらいたくて、スプーンを差し出した。
「味見をしてみてよ」
ジュールがまたまた怪訝そうな表情をしてみせた。
今度はわざとでもないらしい。
「ちょっと、コーヒーが…」
そう言うと水を一口飲んで、素早くトトのスプーンに口をつけ
「ほくほくしている。優しい味…」
満足そうに頬を丸くした。
その後、落ち着かない様子でまわりをきょろきょろと見回した。
彼に怪訝な表情をさせた原因は、コーヒーが舌の上に残っていたためと思われる。
トトは、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。

店を出ると、すぐ横の切り通しの道を登る。
「あのお店は、流しそうめんもやっていると書いてあったみたいだけど」
トトが呟く。
「ああ、やってみたかった?」
「ううん。私、勇気がないから」
「流しそうめんに、そんな度胸が必要だとは聞いた事がありません」

ジュールの頭の中で、兄が流しそうめんの意味を勘違いしているのでは?
という疑問がわく。

「流れてくるものを箸ですくうだけですよ?」
「それが、大変なんだよ!きっと!だって流れてくるんだよ!?」
「?」
「昔の剣豪は、箸で蠅をとらえたと聞くが、それと同じくらい大変なことに違いない」
トトの想像では、鉄砲水の中で一筋のそうめんを掴むような難易度の高さに設定されているらしい。
「もっと、ゆっくりだから…」
トトの想像どおりなら、私は流しそうめんを一口食べる前に力尽きるだろう。
ジュールは、ちょっと背筋が寒くなった。

切り通しの坂を下りながら、前にも話したそりの話題などを交え、トトとジュールは住宅街へ入っていった。

「前と違うルートを辿ろうよ」
トトが言うので、二人は小町通りの先にあたるところから鎌倉の町に入った。
そこは、とても小洒落た通りになっており、まるで小京都のようだ。
ジュールもついきょろきょろと周りを見回す。
珍しいものを探しているのだ。
「限定品の宝庫かもしれません!」
と鼻息が荒い。
一方、トトは限定品よりも美味しそうな香りに引かれて、うろうろと店に近づいていった。
「ドイツのソーセージ…ビール…」
「兄上、お酒は飲まないんですよね?」
ジュールがからかうような視線を向けてくる。
「もちろんだとも!」
だが、自信満々に答えた後、トトは遠慮がちにモジモジし始めた。
「でも、ダイエット中なの・・・・」

言葉とは裏腹。
2分後、
トトはハーブソーセージ入りホットドックを頬張っていた。
「すごくジューシーだよ!」
満足そうだ。

トトがホットドックを食べ終わる頃、ジュールがお香の店を指差した。
「入ってみよう」

ジュールは、慣れた様子で香を全身で味わっているようだ。
「私は、香が好きなんだよ」
トトも小さい香袋をお土産に買うつもりのようだ。
「わがアルキュード家は、その昔、イルミーネ王室の薬師から貴族に取り上げられたと聞いています」
「え、そうなの?」
「その時に扱っていたものは、薬草と香草・・いわゆる香も扱っていたらしく、我が家の傍流は、現在、香水師になっているものもいるそうですよ」
「知らなかった!」
ジュールの事はなんでも知っていると思っていたが、まだまだ知らない事があったのだ。
「だからかな・・こうした異国の香を嗅いでいても、心が落ち着くような気がするのは」
そういえば、ジュールは物の味だけではなく、香りにもこだわりがあった。
「ジュージュは、いい香りがすると思っていたんだ」
「普段は何もつけていませんが」
「私の好きな香り」

トトが包んでもらった香袋を揺らすと、ジュールは自分の耳を触りながら、香炉を眺めた。

今度はジュールが喉が渇いたというので、近くの喫茶店に入って二人でアイスコーヒーを飲んだ。
さすがに、しばらく歩いていると汗だくになり、ホットを飲む気にはなれない。

「あ、ほら・・・トトが昔言っていたでしょう」
「・・?」
「何度目かの恋って」
ジュールは、らしくなく視線を反らしながら言う。
「うん、私は今8度目の恋の途中なんだよ」
「え!誰?」
思わず、ジュールは小さい声で叫んだ。
「もちろん、相手はジュージュだよ」
トトは恥ずかしげもなさそうな調子で、答えた。
このアイスコーヒーは、メイプルシロップをたっぷり使ったものなので、トトも甘ったるい顔をしているように見える。

「う、うん…」
今日のジュールは本当にらしくない。
「いまさら、照れくさいいい気分になった」
「?」
「本当は、連れ出して欲しかったのは私のほうなんだ、トト」
「そうなの」
ふぅーと一息ついてジュールはストローに口をつけた。
「私もジュージュと来れてよかったよ。いつもいつもね、ジュージュといると幸せな気分になれるから」
「私は、嫌な事を言ったりしていませんか」
「ジュージュの意見は大好きだから大丈夫」
そういうと、ジュールは苦笑した。

「私は、今日あのお蕎麦屋さんで本当の優しさを知った気がするよ」
トトも意見にジュールも頷く。
「人を救うなんて大きな目的だけが優しさじゃなくて。ましてや個人のプライドなんて、些細な優しさの前では意味がないよ」
ジュールは黙って考えていた。

トトは、そんなジュールの手を上からそっと握った。
「…トト」
トトはジュールが嫌がるので言うのをやめた言葉を心の中で呟いた。

また、人の事で考えこんでいるのだから…。

ジュール・アルキュード公はイルミーネ国王の右腕だ。この国の支柱とも噂されている。
そして、彼は王宮のみならず、ありとあらゆる場所で人々にそのように思われてしまう人だった。
皆、自分の事を考えて動けなくなってしまうのに、この人は自分が信じる秩序のためなら、自分を捨てられる…皆はその存在を求め、彼自身もそのように求められるのを当然としていたのだけれど、いかに無敵に見えるジュールも、人の血が通い、息をしている人間だ。

たまに、きつい事を口走ったり、不機嫌極まりなかったり、一人心地溜息をついていたりもする。

それでも、彼がいかにまわりの人々や取り囲む環境を愛しているのかは、皆知っている。

「今回、口にしたものは何もかも優しい味がしたね」
トトが言うと、ジュールは一息ついた。
「ああ。今日は、とても優しい日だった」

二人は陽が落ちる前に、帰路についた。

「明日も早いから、今日は帰ったら寝るんだ」
トトの肩に手を置き、ジュールは
「ありがとう」
と言った。

そして続けた
「今日は、一方的に私が元気づけられてしまった気がする…」

トトは、少しジュールのほうへ身体を傾けて言った。
「今日、私はジュールの優しさに包まれている事を思い出せたんだよ」

二人の間には、甘い香りが漂っていた。

END

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