-友達 2(本編最終章)-

イルミーネ国の物語

ー私の中の私たち1ー

ある日、トトは頭痛を覚えた。
頭痛を頻繁に繰り返すうちに、まったく眠れなくなってしまった。

気が狂いそうなほどイライラする…。

どうして眠れないのだろうか?
目が覚めているのが当たり前。意識は覚醒したままだ。
そのうち、頭の中から話し声が聞こえるようになってきた。

「うるさいっ!」

ある日、トトはベッドで叫んだ。そして、あまりの虚しさに涙を浮かべた。

私は気が狂ってしまったのかもしれない。
げっそりと痩せた腕に刃物を当ててみる。自傷ではなく、確かめるためだ。
私がまともなら痛みを感じるだろう。

首をかしげながらのリストカットは、何度も続いた。
何度傷つけても、自分が正気かどうか確証が持てない。

「サンはどこにいる?」

昔、間接的ながら止めてくれたことがあった。
サングと命がけの斬りあいをした後、もうこの友の前ではやらないと決めたのだ。
だが、あれは誰の記憶?
ぼんやりと小説の一場面を観るような感覚。
そもそも、本当にあったことなのだろうか?
私は夢を見ていたのではないのか?

もう一度、自分の生きてきた記憶を手繰ってみよう。
母が死んだ。
母の眠っているベッドがぼんやりと浮かんで見える。
父が死んだ。
ああ、葬式に出ているのは私だ。
とぼとぼ歩いているのが見える。

たしかに二人は死んだ。

いないのだから、死んだのだ。

ジュールが現れて…。
いるのだから、これも正しい記憶なのだろう。
私はジュールに恋愛感情を抱いていた。
きっとそのはずだ。
この人を好きだったのだ。

「兄上、そろそろお休みになられたほうが・・」
ジュールが言う。
いつの間にいたのだろう?
よく見るとパジャマを着ていた。
「ああ、そうする」
私は、この人が好きだった。
好きだった…好きだった。
思い出そうとしても思い出せない。
この人も私を愛していた。
だから、ここにいてくれるのだ。
でも、どう対処したらいいのだろう。
私は、この人を好きだった頃の感情を忘れてしまっている。
私の中の誰かが、この人をすごく好きだったのだ。
それは誰だろう?

そっと、布団をかぶせられて「ジュールという人はいい人だな」と思った。



数日後、トトは医師を呼んだ。
精神の問題を扱うという評判の医師だ。
イルミーネでは大変偏見を持たれた時代もあったが、ここのところの産業発展により、そうした問題は取り上げられるようになった。
もちろん、この事は誰にも知らせていなかったが。
「眠れない、食べても戻してしまう。自分の行動に自覚が持てない気がする」
とだけ控えめに言った。
トトは、まだこの医師を信用したわけではなかった。
ただ、記憶がおぼろげに残っている状態で、自覚と感情が伴わないというのは非常に不便だったのだ。
そして、人を傷つけている気もしていた。
ともかく、この状態がすぐに回復できるような薬が欲しかった。
医者は、トトの言葉に頷いて「これを服用してみてください」と薬を大量に手渡した。




ジュールは、廊下でしゃがみこんでいる国王を見つけ、慌てて声をかけた。
トトは、「立てない…箱に閉じ込められている」と呟く。
「?」
ジュールが、不思議そうな表情を見せると
「たとえ、の話」
と言い、その腕にしがみつきながら、どうにか立ち上がって歩き出す。
「大丈夫ですか?」
「私は、まだ一人で歩ける」
小さな背中が、拒絶を訴えていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トトが、わずかに口に入れた果物さえ、戻してしまうことには気づいていた。
だが、最近本当に…様子がおかしい。
誰かが部屋に入ってくるのを急に拒絶したり、ぼんやりとしていることも多い。
それでいて、普段と変わらぬ生活をしている。
たまに頭を抑えて呻いているが、頭痛だと本人は言い張っている。
「箱に閉じ込められている」
「視界が狭くて…よくまわりのものが見えない」
「横から誰かに何かされてもわからない」
笑いながらトトが言った言葉。
だが、その直後、突然表情が豹変し
「頼むから、今すぐ部屋から出て行ってくれ!お願いだから!早く!」
と叫んだ。

心の奥に眠っていた記憶が、危険を訴えているのに、どうすることもできない。
狂った私の母とは、違う。でも、どこか似ている。
トトのそばにいてやるべきだと思う。
原因はわかっている。どうしても勝ち目がないのも自覚している。
しかし、あの人は私の大切なトトだ。
私が、なんとしても守ってみせる。

ジュールは、トトの部屋を尋ねた。
だが、何の物音もしない。
扉を開け放つ。

机に向かって呻いているトトがいた。
「来るなー!!!」
「兄上…落ち着いて、どう・・?」
ジュールが言いかけた時だった。

「おまえを殺してやる!」
トトの手にはカッターが。
だが、それはジュールに向かわなかった。
トトの首筋めがけて振り下ろされる。
「嫌だー!」
悲鳴。
ナイフを振りかざす右手と、止める左手。
「死ね!死ね!死ね!」
トトの口から本人のものとも思われないような、おぞましい男の声が発せられた。
「助けてー!」
泣きじゃくるもう一人のトト。
どうにか、カッターを左手が投げ捨てた。
すると、トトの身体は不自然な方向へ飛んだ。

まるで誰かに投げ飛ばされたかのように。

壁に頭を打ち付けられる。
自分でぶつけているというよりは、誰かに当てられているような姿勢であった。
「痛いよぉ!痛いよぉ!何も悪いことしてないよぉ…!助けて、やめて…もう殴らないで!」
自ら壁に身体と頭をぶつけながら、泣きじゃくっているトトはあまりにも滑稽だ。
ジュールは、目の前の光景に呆然としていた。
そう・・・せざるを得なかった。

しばらくすると、トトはぼんやりとして、とぼとぼ歩いてきた。
視線が定まらない。
「そうだ、お風呂に入ろう…」
今までの行動がなかったかのように、口からはありきたりの台詞が発せられた。
「兄上・・・」
声をかけられて、トトは気づいたように振り返る。
「ああ、ジュール。そこにいたんだね」
「・・・私は・・・」
ジュールは、机の上のカッターを見つめる。
トトは、それを冷ややかとも言える冷静な面持ちでちらりと見た後、
「何かあったようだね。だが、私じゃない」
と言った。


その時、初めてジュールは背筋が凍るような不安を感じた。

「では、あなたは誰だ?」
思わず問いかけてしまった言葉。
「私は、私だよ」

あくまで、落ち着いた様子でトトは答える。
だが、トトとはこんなに落ち着いた人物だっただろうか。
「正直に答えろ、おまえは誰だ」
ジュールは話し方を変えた。
「なんでもないよ!」
突然、明るい声に変わった。
この時点で、この人物…(トトと思われる)は質問に答えていない。
「私は、お風呂に入るから・・・ジュージュはどうしてここにいるのかなぁ?」
幼い口調に無邪気に笑う笑顔。
そうして、彼(?)は、風呂場に歩いていってしまった。

立ち尽くすジュールを残して。



その日、ジュールは王宮の書庫にいた。
彼の前には「精神学」の本が積み重なっている。

トトの症状は、あれは一体なんだ?
演じていたのかもしれない。いや、いっそ演じていて欲しかった。
あれが、無意識で起こっているとするなら、すぐには治らないかもしれない。
完全に解離はしていない。
少なくとも、何が起きたかは何となくでも把握しているらしい。
それと、ある部分で繋がっている。
お風呂に入るという行為は持続していた。
だが、あの凶暴なトト(?)のことは覚えているのかどうかわからない。

ジュールは、外科の知識を学んで医者の免許を取った。
精神科は専門外だ。
誰かに相談したほうがいいかもしれない。
途端に悲しくなってきた。

…嬉しそうなトトの顔が、こちらに向いている顔が見える。
本を読んでいる。音楽を聴いている。
サングを失わなければ…私と心を通わせなければ…。
どうして、あの人なんだ…いつも傷つくのは。
重ねられた小さな手を思い出す。
この手を守りたいと願った瞬間に、きっと惹かれていた。

二人で遠い国に行きたい。
サングも王位も関係のない世界に。

情けないことに、嗚咽をもらしそうになった。
ジュールは、口元を押さえた。
何もかもこれからだったのに・・。壊したのは私だ。私があの人を破壊した。
自分の傷ばかり見て、癒してもらうことばかり考えて。
ー自分一人、責任から逃げたー。
嫌っているはずの父親と何も変わらない。

愛せたはずなのに。
愛するのが怖かった。
絶対の信頼を寄せられることが、責任を取ることが、恐ろしかった。
ただ、惹かれて、想いを伝えて、逃げ出した。
美しくすべてをまとめる事なんてできやしない。
恋愛はファンタジーじゃない。
トトが信じた暖かな幸せに、私は背を向けてしまった。
酷い仕打ちだったに違いない。
そして、サングという心の支えもトトから遠ざかってしまった。
私は、トトから幸せをすべて奪ってしまったのだ。
保身のためだけに。

偉そうに本など読んで、医者気取りの自分がバカらしくなってきた。
私がしなければならない事は、トトの病名を調べる事じゃないのかもしれない。

いつの間にか、ジュールはだらしなく手足を伸ばし、椅子に寄りかかっていた。
このまま、心がどこか遠くに行って欲しいとも考えた。
あくまで、今だけだ。

・・・・・・・・・

「ジュール・アルキュード候ですね」
誰もいないと思ったのに、誰かが歩いてきた。
こんな無作法な姿を見せたくはなかったが、もうどうでもよかった。
「あなたに話がある。聞くだけ聞いてください」
近寄ってきた誰かは、トトの姿をしていた。
「兄上?」
「残念ながら、私は違う」
と目の前の人物は首を振る。
「急ぐのです!少し、話を聞いていただけますか」
「昨日の彼か?」
「あの人ではない。私の名前は、仮に”教師”としておきます。今から、私が話すことをよく聞いてください。
あなただけが頼りなのです。・・・信じていただきたい。ともかく、時間がないのです」
「話だけでも聞こう。トトはどこだ」
教師は、椅子に腰掛けて、ジュールに対峙した。
「トトとは、誰を指すのかはわからない。私たちすべてなのか、それともあの子なのか、それとも私たちの中の誰かなのか」
「教師…ところで、あなたはどういう人なのだ」
「私は、皆の状態を説明する役割についています。個々のことはノートに綴るように相談したので、それを見てください。私があなたにお願いしたいのは、薬をやめさせてほしい事」
「薬?」
トトが薬を服用しているとは。
思い当たるのは、アンジュー公が持っている安定剤だが・・。
「医者からもらったものです。独自に。それを信じて飲み続けている。トトは」
「トトが?トトが誰だかわからないのに?どうして、トトがもらったとわかるんだ」
「私たちの中で、トトと呼ばれている人とあなたが知っているトトが同一人物とは限らない」
教師は、理屈っぽい人物らしい。
ジュールは頷く。どうやら教師は、自分に似ている。口調や声の出し方も。
「早く、止めてください。それと、私がお願いした事は他の人には話さないで。誰かに薬を隠されてしまうかもしれない。もし、次にこの人が薬を捨てないでくれと、たとえ懇願しても捨ててください。薬を飲んでから私たちの意思疎通がうまくいかなくなってしまったのですから」
「わかった」

ジュールの返事を聞くと、教師は立ち上がった。

「まだ、大丈夫そうだから、もう少し話します。私の知っている人の名前は”トト””レイ””お姉さん””まる””きちがい””かごの中の小さな子”だけです。私たちは、かごの中の小さな子を守るために存在している。特に、きちがいがこの子を攻撃しようとすると、トトが犠牲になります。レイとお姉さんはきちがいがこの人を殺さないように行動を決めている。それと…」
教師の表情が一瞬固まった。
「お姉さんが起きてしまった」

そういい残し、気配がまったく変わった。

「ジュール、レイには…知らせないで」
この人はお姉さんだ。髪をうっとおしそうに整えたりしている。先ほどの教師とは面差しからして違う。
たぶん、トトの実際年齢より年上の女性だ。
「薬の件。教師が話していたでしょう。私たちはある程度記憶を共有しているの。だから、レイにもいつかわかることだけど、あの人は特別だから」
「レイが主人格なのか?」
「さぁ?私とレイが行動を決めているけど。時々、教師が割り込んでくる。あの人は公正よ。でも、公正すぎてずるい。私たちのことを考えていない。特にレイの事を」
「レイとは何者だ?」
「レイは男性。私より年下。ごく普通の男性。好きになるのは女性だけ。主に仕事を請け負っている」

お姉さんは、そこではぁとため息をついた。
「レイは、自我をどうしたらいいかわからない。そもそも私たちは、かごの中の小さな子を守るために存在している。でも、あの子は男の人が好きなの。レイは女性が好きでしょ。あの子の幸せはレイの幸せだけど、レイの幸せじゃない。まして、薬をやめたら、レイは自分が真っ先に消されると思っている」
「複雑だ」
「そうそう」と、お姉さんは頷いた。


「ジュール。覚えていてほしいのは、私たちは、この人を幸せにするために存在する。誰が欠けてもいけないはず。皆が納得する形でこの人を元のこの人に戻さないといけない。かごの中の小さな子とは話したことない、あの子がこの人なのかも知らない。でも、あの子が死んだら、この人もきっと死んでしまう。だから、私たちはかごの中の小さな子を守っている」
「きちがい…から?」
「彼だけじゃない、すべての事象から」

お姉さんの話を聞いて、ある程度納得した。
すべて、トトなのだ。この人を含めて。

「私に何ができる」
「ひとまず薬をやめさせて。レイは私が説得する」
そう言って、お姉さんは頭を数度コツコツと指でつついた。
まるで、頭の中の誰かに確認するかのように…。

続く

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