彼女は、アンナという。
別に花屋の店主と言うわけでなく、雇われて働いているそうだ。
前に会ったときは明るいイメージがあったが、今日はなぜか様子が違う。
「どうかしましたか?」
僕は、お礼のクッキーを渡しながら、そっと聞いた。
「ううん。なんでもないの。ただ・・・」
「ただ・・・?」
「こんなふうに誰かにプレゼントをもらうなんて、何年ぶりかなって」
それは、鈍い僕がわかるほどに無理をしてつくったような笑顔だった。
「もしよかったら、今度食事にでも!」
自分の発言が唐突だと知ったのは、彼女が声をあげて、今度こそは本当に笑ったから。
「こんなおばさん誘わないでも、ほかに誰でもいるでしょ?」
「そんなことありません!」
今度は、目を丸くしたアンナを見て、僕はしどろもどろになった。
「つまり・・・おばさんじゃない。というか、他に誘う人もいません」
続けて出た笑い声に、もうどうしたらいいのかわからず、そばにあった花束を手に取った。
「とりあえず、これをください!」
・・・・
自分のアパルトマンに戻ると、管理人さんが変なものでも見るような目で僕を見てきた。
何しろ真っ赤なバラを持ったまま帰宅したのだ。
あからさまに振られた男のようだった。
どうして、自分でもあんなことを言ってしまったのかわからない。
ただ、あの笑顔の裏に隠した影がたまらなくて・・・・。
どうしたらいいのかわからなかった。
彼女のような明るい人が、なぜ・・・。
初めて会った時の、声を上げて僕を呼んだ彼女のよく通る声が、なぜか耳について離れない。
ただ自分はお礼をしなければ、会わなければ、と思っていただけなのに。
一度目は彼女の顔さえよく見ていなかったというのに、二度目に見ると一度目の記憶がくっきりと甦る。
「大丈夫ね」
「大丈夫です」
という会話さえできなかったのに。
僕の頭の中では、交わせなかった会話が続く。
もう一度会えば、このような会話ができるのだろうか。
だから、会いたい。
そのために会いたい。
「きっと、それは恋に違いないよ」
目の前の人物の発言をどう取り消そうか。
王宮内で、昨日起こった出来事をセシリーに話していたところだった。
手にキャンディーボックスを持って、ふいに彼は現れたのだ。
「もう少ししたら、ハロウィンだからね。かぼちゃな何かをプレゼント・・・」
そう言って、キャンディーボックスを差し出す小さな手を拒絶することもできずに、かぼちゃの絵が描いてあるオレンジの紙に包まれたキャンディーを2ついただいた。
「立ち聞きしたわけじゃないよ。偶然、そこに居合わせたんだ」
それを立ち聞きというはずなのだが・・。どうにもこの人は憎めない。
おかっぱ頭を揺らし、興味深そうに茶色の瞳を動かしている。
「それにしても、君のような才子が恋をねぇ」
ウキウキするね!と言って、彼がキャンディーボックスを手にステップを踏み始めたので、セシリーがたしなめた。
「トト様、キャンディーがこぼれてしまいますよ」
「ああ、そうだ。これはいけない」
ふと気づいたようにボックスの蓋を閉じて、この国の国王陛下は
「君に幸あれ!」
と言って去っていった。
・・・・
「・・・言っておきますが、色恋沙汰のたぐいではありませんよ」
国王陛下が姿を消した後、僕は再度セシリーに説明をした。
「そう?そう言い切って悔いない?」
セシリーはにやりとしたまま、僕の顔を下から覗き込んだ。
「ただ・・・僕はどうやってお礼をしようか・・・食事に誘ってしまったわけだし、どういう店を選んだらいいかで悩んでいるのです」
「たしか、この季節にいい新酒を出す店があった」
国王陛下が消えたドアからレオーネが姿を現す。
「いたのか!」
「さっきからずっといたが・・」
僕は額に手を当てた。もっとも聞かれたくなかった相手に聞かれてしまった衝撃に。
「そう珍しいことじゃない。誰かをディナーに誘うなんてことは・・・」
そこで、レオーネもセシリーと同じような笑みを浮かべて言った。
「ただし、マリウス君。きみを除いてだが!」
それからは、二人に散々からかわれて、彼女の顔かたち、詳細にいたるまでことごとく質問攻めにあった。そうはいっても、僕だってまだ彼女のことなんてよく知らない。
もしかしたら、結婚しているかもしれないし、恋人がいるかもしれないのだが・・・ディナーの約束を承諾してくれたということは、そういった心配はあまりないのかもしれない。
僕は、何を心配しているんだろう。
彼女が・・どういう人でも、今回のディナーはお礼のつもりだ。
だから、彼女自身のことなんて関係ない。
関係ない。
「好きな人はいるの?」
夜とは思えないような明かりの中で、アンナはそう聞いた。
言葉を発する前に顔が火照るのを感じて、僕は必死に口を動かした。
「どうしてそんな、僕は・・・あ、そういうものはなくって」
「君くらいの歳なら、可愛い彼女の一人でもいるのかなぁって・・・」
そう言って、アンナは笑った。
からかわれたと知って、ほっと息をつく。
そうして、出されたメインディッシュのジビエに手をつけた。
レオーネが紹介してくれたお店は、小綺麗でほどほどに上品な店だった。
はじめて女性を連れて行くのなら、このくらいがいい・・とアドバイスを受けて、予約をとったのだ。なるほど、店員の感じもいいし料理も美味しい、なにより形式ばった固さがなくていい。
「ワインは飲みますか?」
「もちろん、私は赤がいいなぁ!」
「じゃあ、新酒を頼もう」
10月になると新酒が出回り始める。
新酒はともすると無個性の薄い酒になってしまうが、美味いものは抜群に美味いのだ・・・という説明をしながら(もちろん、これはレオーネの受け売り)、僕たちは乾杯をした。
しばらく楽しく飲んだ後で、アンナは僕を見て
「そのくらいの歳が一番面白いよね」
と言った。もう、二人で1本空けている。アンナは首をかしげているようなしだれかかっているような微妙な角度で、僕を見つめた。
「もしそうだとしても、僕にはその実感はありません。まだ、これ以上生きたことがないから」
「そう・・?」
「ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「僕は、あまり話がうまいほうじゃないから・・・」
質問はアンナがしてばかりで、僕は話題の一つも提供できないまま。
我ながらつまらない男だと思う。
「聞いてくれるだけでいいって。マリウス君は優しいのね」
「優しくなんか」
「世の中には、いやな人がたくさんいるじゃない。身勝手な相手を好きになった私は・・・」
「え?」
「ううん、なんでもない。なんでもない!」
また、作った笑顔。
どうして、そんなに哀しそうに笑うんだ。
それは、愛情でも哀情でもなく、彼女が心配という心境で。
明るいアンナが、すぐにでも壊れてしまいそうな儚い人形に思えて・・。
「今日のあなたに付き合います」
と言った。
「それで・・・」
頭を抱えたまま、僕は呻いてていた。
今日の日替わりサンドは、サーモンとアボカドだ。
カフェ内の奥の席。一番暗い場所で、僕とレオーネは座っていた。
「まぁ、水を飲め」
「あ、ああ。すまない」
酷い二日酔い。情けない。
耐え難い気持ち悪さと、頭痛と。
あの後、彼女に付き合ってワインを3本あけた。
いつもは、そう酒なんか飲むほうじゃない。醜態をさらしたことなど一度だって・・・。
いや、一度だけあるけど・・・。
「で、その彼女は、2回目に会ったおまえを部屋にあげたんだな?」
「う、う・・・そうだけど」
やばい。吐きそう。
レオーネが、デザートに頼んだ柿をぐいっと差し出す。
「二日酔いにはよく効く」
「う、ありがとう」
柿を食べながら、話を進めた。
「それで、アンナを部屋のベッドに寝かせて帰ってきたんだ」
「2回目の男を部屋に上げるなんて、ずいぶんと怖いもの知らずの女性と見える」
「僕は何も・・・しないよ。しません」
「おまえの問題じゃない。が、たしかにおまえだったから・・・というのはありうるかもしれない」
「どういうこと?・・・だ?」
「危険な男には到底見えないからな」
「それは・・」
「しかし、その女性・・・」
レオーネは口元に手を当てて、考え込んだ。
「なんだよ・・・」
「今後、同じ状態でおまえに何かをしなければいいけどな」
「・・・」
「そういう女は、はっきり言って危うい」
「だから、僕は着いて行ったんだ」
店から出た後、アンナは完全に一人では歩いて帰れる状態じゃなかった。
足取りもおぼつかない彼女を、半ば引きずるように歩いて、彼女の家という2階建ての小さな賃貸住宅に連れて行った。彼女の住居は2階の端にあって、ドアを開けると、まず彼女の靴を脱がせて、見えるところにあるベッドに横にならせた。こちらに手を伸ばしている彼女に布団をかけて・・僕はそのまま帰ってきたのだ。
あの伸ばした手が、何を求めていたのかはわからない。
「なにか、思い当たる節でも?」
レオーネが眉をひそめて僕の顔を見ていた。
「いや、いいんだ・・・」
「めんどくさい女も多いからな。気をつけろよ」
「わかっている・・・います」
「前から言っているが、その丁寧語はどうにかならないのか」
さりげなく話題を変えたレオーネとまったく別の話をして、僕は昨日のことを少しだけ忘れることができた。そうして、二日酔いも柿を食べたせいか、午後には幾分かましになっていた。
僕は、毎朝同じように花屋の前を通る。
アンナは、あの夜のことは「ごめんね!」と明るく詫びてくれた。
何も変わらない。
僕は、毎朝アンナに挨拶をする。
彼女は笑顔で答えてくれる。
そして、週に一度ほどお互い時間が空いた時にディナーを共にする。
もっとも、初めて行ったあんな素敵な店ではなく、近所の居酒屋のような場所で。
軽く食べて、軽く飲んで。
アンナも前のように無理な酔い方はしない。
僕たちは、お互いの住居に帰る道の途中で手を振って分かれる。
・・・・・・・・
「マリウス。それで、意中のお相手とはどうなったの?」
セシリーが癖のある金髪をいじりながら、意味ありげに尋ねてきた。
レオーネは、あれ以来、あまりその話に首を突っ込んでこない。
「意中も何も・・・ただ夕食をたべる友達ってところですかね」
「なーんだ。つまらない・・・ほんとうのところは?」
「ほんとうもなにも・・」
困ったな。ほんとうなのに。
彼女と話していると楽しい。
もしかしたら、僕は自分が思っている自分とは違うんじゃないのか・・なんて、変な期待をしてしまうくらいに。
アンナは、明るく面白くて、ちょっと我が侭で。
「貝がダメらしくて・・・バストール国から取り寄せたっていう牡蠣のお店はダメでした」
「ふーん。それで?それで?」
「まぁ、イルミーネでは珍しくもない話だし、牡蠣なんて食べに行こうとしたのが間違いで」
山国イルミーネでは、海産物が苦手な人と大好きな人とが極端に分かれている。
思いがけず不機嫌そうな顔を見せたアンナだったけれど、それさえも僕には可愛らしく思えた。
もちろん、すまないことをしたと罪悪感にはかられたけれど。
思い出してみると、変にくつぐったいような感じ。
「なんて顔をしているのよ」
セシリーに言われて、僕は初めて自分が笑みを浮かべているのに気づいた。
「なんでもありません!」
「牡蠣には、まだ少し早い季節ですからね」
突然、背後から声をかけられて、僕は肩をビクリと震わせてしまった。
独特の響くような美声の持ち主は、
「あと1月から2月。身が太ってきて。その頃が一番美味だ」
続けて、「こんなところで立ち話ですか?」と聞き、
「別に立ち聞きをしていたわけじゃありません。ただ、牡蠣の話が出ていたもので」
と、耳にかかった鈍いブロンドの髪をかきあげた。
僕よりも若干視線の位置が高い人なので、僕は斜め後ろを見上げるような姿勢のまま、不自然に頷いた。
「アルキュード公、ごきげんよう」
セシリーがにっこりと挨拶をする。
アルキュード公ジュールは、感じのいい笑みをその美しい顔に浮かべた。アルキュード公は、現国王トト様の異母兄弟で、国政に深く関わっている人だ。
王家の人は立ち聞きが趣味なのか?と、一瞬浮かんだ疑問を打ち消して、僕もお辞儀をした。
まぁ、立ち聞きされていてもおかしくはない。ここは王宮の廊下。
「ところでマリウス君、この前の草案に目を通しましたが、あれはなかなか興味深い意見だ」
「ありがとうございます」
アルキュード公は、僕の憧れでもある。
智勇兼備、純真無垢、質実剛健、のどれでもなかったが、ともかく素晴らしい人なのだ。
しいていうならば、神韻縹渺といっていいだろう。
そこへ、国王陛下がやってきた。
「やぁ、皆!お元気?」
あいかわらず、ご機嫌そうにおかっぱ頭を揺らしている。
アルキュード公とはご兄弟なのだが、そうは思えないほど似ていない。
お二人の父君は前国王陛下だが、母君がそれぞれ違うせいなのか。
アルキュード公の胸に届くかどうかの背の高さのトト様は、いつものように上を見上げて公に話しかけた。
「今度のハロウィンパーティーはどうするね?仮装舞踏会でも開こうかしら?」
「それは・・・このあたりの人々で。ということですよね」
「もちろん!」
私は、占い師か修道士をやるんだ!と嬉しそうに、トト様は笑った。
「そうだ!レオーネにも伝えておいてよ」
また用事があったらしく、そういい残して国王陛下とアルキュード公は一緒に去っていった。
あのお二人の真の関係を知っているのは、王宮の中でも一部だ。
まさか、王族が二人とも同性で愛し合っているカップルだなんて・・・。
すっかりお二人に話を中断されてしまったせいで、セシリーもそれ以上は深く聞いてこなかった。
・・・・
夕方。
帰り際に王宮の書庫に立ち寄ると、レオーネが一人、夕陽の当たるテーブルで本を読んでいるのが見えて、声をかけた。
「今日は、まだいるんですか?」
「ああ、調べものがあって」
そう言いながら、本をパタンと閉じる。
邪魔したのかな、と思って立ち去ろうとした時だった。
「彼女とはうまくいっているのか?」
「うまく・・・といえばそうですが」
「そうか」
ふと黙った後、
「恋愛ってものは、心境と状況のバランスが大切だからな」
とレオーネが言った。どこか言い聞かせるような口調で。
「あなたは?それがとれているんですか?」
別に何気なく返した一言に、レオーネは・・・開けかけた口を噤んだ。
しばらく訪れた沈黙に、僕は、僕の一言の重さを知った。
レオーネの状況を知っていれば、言うのじゃなかった。
否、状況ではなく心境だ。
それを振り払うように、再び口を開いたレオーネは
「状況を変える強さを、おまえもセシリーも持っているんだろう。たぶん」
とだけ言った。
「あなたは、今、幸せなのですか?」
翌日。再び王宮の廊下。
昨日のレオーネとの会話を思い出して、僕は目の前の人物に尋ねた。
「うーん、どうだろう?」
昼間の日差しが、明るい金髪に反射してセシリーの顔が透き通って見える。
この人は、広大な屋敷と黄金の馬車と数多くの召使いに囲まれて育った人だ。
そして、たった一人のためにそれらをすべて捨てた。
そう・・・たった一人のために。
レオーネのために。
「幸せかどうかなんて、今はわからない。でも、不幸せではないわね」
「幸せってなんだろう?」
それは、つい口から出た疑問。
僕はアンナと知り合って幸せを感じている。でも、熱烈な恋愛関係でないからといって不幸でもない。
「そんなの、不幸になってみないとわからないわ」
「それは嫌ですね」
人間は愚かだ。自分がいかに幸福かなんて、不幸にみまわれる前までわからない。
僕はそれをよく知っているくせに、今の状況がわからない。
「大事なのは、自分の選んだ道が間違っていないと証明し続けることなのかもしれない」
「僕には時々わからなくなる。まわりがいう幸福の形が」
「まわりじゃないわ!自分の人生なのだもの」
セシリーのエメラルド色の瞳が、輝いて見えた。
「マリウス、あなたが何をしたいのか、欲しているのかは、あなたしかわからない。もちろん、どうすれば幸せになれるのかもね」
”私は、きっと幸せになってみせる”
透きおとおるような横顔が、一層まぶしく美しかった。
セシリーという女性は強い。
だから、レオーネはああ言ったのだろう。
セシリーはレオーネの家に住みながら、僕たちと仕事をしている。
二人の関係は、僕も知っている。
ところが、地方の実家からたまに訪れるレオーネの母君は、それを認めていないらしい。
「セシリーは、いつまでも私の友人。同居している友人だと母様は・・・」
セシリーはあくまで友人という、レオーネの母君の認識。
レオーネの、それは越えられない壁である。
実の母の頑なな態度とセシリーの覚悟の間で、レオーネは生きている。
恋愛とは、心境と状況のバランス。
自分のことはともかく、なぜレオーネがそれを僕に言ったのか、僕はまだその意味に気づいていなかった。
