薄い雪がちらついているある日。
トトは以前から望んでいた本を借りることができて、とても喜んでいた。
その本は、古今東西の名画を編修したもので4つのシリーズから成っており、今トトが手にしているのは、「おとぎ話の絵画」というロマンチックな絵画を集めた一冊だった。
とてもゆったりと時間が流れていく。
ベリーの香りの紅茶を入れて(これは東洋の友人から贈られたものだった)、ソファで本を広げている。
ときどき姿勢を変えるのは、分厚い本の重みで肩と背中が痛むためである。
それでも、じっくりと本に吸い込まれている様は、熱中と言う言葉がよく似合っていた。
22:20
トトは、ようやく本を閉じて、大満足のままベッドに入った。
そのベッドの中で、トトは別の本を開けた。
これは小冊子だったので、横になったままでも読めるのだ。
黄色い表紙には、「流行のレストラン」という文字がかろうじて読める。
不思議なことに、トトはこの本を眺めていると、気持ちが落ち着いてよく眠れるのだった。
トトよりも早くベッドに入っていたジュールは、その様子を見て、
「またか・・・」
と呟く。
「まただけど、この本はいつでも新しい」
トトは返した。
「20年以上前の本だけどね」
「不思議なのですよ。あなたのその本。もう千切れているページもあるのに、大切にとってあるのが」
「これはねぇ、すごい本なんだよ」
この本には、このあたりのレストランが代表的メニューとともに掲載されているのだ。
ただし、20年も前の本なので閉じてしまった店も多かった。
「この店主は確実に亡くなっていますよ、この時点で80歳を超えた大老と書いてある」
「ああ、そうだね」
そこに載っているメニューも素朴なもので、鳥を軽く煮込んだものだった。
「私がこの本に惹かれるのは、メニューの豊富さもあるけど、取材編集した人の巧みな表現力だよ」
たしかに、表現が個性的で一度読んだら、耳について忘れられないようなフレーズが多い。
(目と頭で感じる文章でなく、耳から入る文章なのだ)
「この本は、いつも私にインスピレーションを与えてくれる。名著だよ」
トトの言葉とは裏腹に、この本はどこの店でも買えるような週刊誌の一つだった。
だが、後生これを大事にとっておくつもりらしい。
ところで、トトは「もう眠い」と言い、本を閉じた。
そうして、頭まですっぽりと毛布をかぶってしまったので、ジュールも「もう寝よう」と、
目を閉じた。
ほんのりと、胸のあたりに湿り気を感じたのは、それからすぐのこと。
布団を上げて、下を覗くと、トトが涙を流しているではないか。
「どう・・・したの?」
驚いたジュールが覗き込むと、トトははらはらと涙をこぼしながら言った。
「私は何も変わってないよ」
今日の夜。
本をずっと読み続けて、読み続けて・・・読み続けて・・・・。
トトは、一体何を考えていたのだろうか。
実は、トトの様子が少し変なのを、ジュールは気がついていた。
冬だから・・・とか。
寒さのせいだから・・・とか。
満月だから・・・とか。
それらすべてが関係していたとしても、トトが笑顔とともに空虚をつれてきた夜のことを、ジュールは忘れはしなかった。
その日。
トトは、サングの昔の仲間に会いに行った。
サングの友人たちとトトは面識はあるものの、特別な付き合いはなかった。
当時のトトにとって特別な付き合いをしていたのは、サングだけだったのだ。
ところが、約束の日になって、サング当人が来れなくなってしまった。
トトも躊躇していたが、約束もしていたことだし、久しぶりに昔に返るのもいいと思ったのだろう。行くことにした。
途中で、トトは雑貨店に寄った。
下品なおもちゃを持っていって、皆を喜ばせるつもりだったのだ。
昔、サングと仲間たちが悪ふざけしていたのを思い出したのである。
「また馬鹿なお遊びに付き合わされるなんて、ごめんだよ」
苦笑しながら、途中まで一緒に来ていたジュールにヒラヒラと手を振って、トトは夜の街へ溶けていった。
ジュールは、思いがけずトトが早く帰ってきたのに驚いた。
しかし、トトは「懐かしく楽しかったけど、体調が優れなくて・・・」と呟いたまま、ベッドに入ってしまったので、真相はわかわらず仕舞いのまま。
ずっと・・・その日のことは話さなかったのだ。
嫌な思いでもしたのでは?とジュールは考えたが、すぐに違うと気づいた。
トトは、サングも親しい人たちも、ジュールでさえも遠ざけてしまったからだ。
「どうしたの?なにがあった?」
もう長い付き合いじゃないか。
ゆっくりとトトの前髪を撫でながら、ジュールが聞くと
「皆、変わってしまっていた。私だけが変わっていなかった!」
叫ぶように、トトは言った。
「子供がたくさんいた。皆、父、母になっていて。私だけが変わらない。変われない。
私は時の中で置き去りにされてしまった・・・。
子供が欲しいわけでも、異性と結婚したいわけでもない。
でも、私は10年前と少しも変わらない。私だけ一人が!
人生も考え方も、私一人が!」
ジュールは、「今頃・・・」と思った。
このくらいの歳なら、そういったことをもっと前に経験しているはずだ。
でも、トトの日常は、臣下との会議や、親戚や他国の王族とのかかわり、ジュールとの毎日に埋め尽くされていたのだ。
彼のまわりだけは、まったく変わらない。
・・・そうだったのか。
「私は一人だ。世界でこんなに孤独な人はいないだろう。私は一人ぼっちで時間に取り残されてしまった」
トトは、久しぶりにとめどなく泣いた。
それでなくとも、最近のトトは新しい臣下に急かされている。
「新しい方針」「新しい技術」「新しい政策」「新しい臣下」
を取り入れろと。
トトは、今まで組み上げて来たものを着実に進めたかったのだが、それに横槍を入れられた感じだ。トトは今のやり方と今の仲間たちが最良だと思っていた。
新しいものがすべていいわけではない。
今あるものをすべて壊して進まなければならない時もあるし、現状を維持しながら進まなければならない時もある。
頭ではわかっていても、トトは悩んでいた。
そして、追い詰められていた。
私がいけないのだろうか。
私の努力が足りないのだろうか。
私は突き進む勇気を失ってしまっているだけではないか。
悩みを何度も咀嚼して吐き出すことなく、身体の中にため続けていた。
そして、今回の件だ。
本当ならば、元の自分を取り戻そうと望んでいたのに、何もかも裏返ってしまった。
「私は、置いていかれてしまった・・・」
「何を言っているのです!」
ジュールは、今日起こったことを思い出していた。ジュールはこの国の外交官でもある。
イルミーネ国がバストール国に輸出している物資と労働力のバランスについて、バストールの臣下と一悶着あったばかりだ。
山国イルミーネの鉱物とそれに関わる技術を、海洋大国バストールに売り込もうと考えたのはトトだ。これにより、海のないイルミーネはバストールの港を自由に使えることになり、この国は、かつてなく変化してきている。
トトのプライベートは変化がないかもしれないが、トトの考えで国と歴史は大きく動き始めているのだ。
「変わらない」などと嘆かれるのは皮肉というものだ。
「よろしいか、あなたのまわりは今までにないほどに変わりつつあるのに・・・」
つい説教をしたくなってしまった。
「あなたのまわりの人々は、あなたに巻き込まれて変わっていく。今や、あなたは台風の目だ。周りを動かす力を発揮しているあなたに”変わらない”などと訴えられても私は困る。あなたほど、まわりに”変化”という影響を与えている人はいないのだ。その辺を自覚していただきたい」
トトは涙も止まり、唖然としてジュールの言葉を聞いている。
「いや、台風の目というのは違う。台風の目でも北極星でも、ともかく・・・あなたがそういった動かないものだったら、と思うほどだ。まったく、流星のようにものすごい勢いで飛び回っているあなたのまわりを飛び回らなければならない我々の気持ちを考えてください」
ふと、ジュールはこれが臣下である自分の意見だと気がついて、少し黙ってから、また口を開いた。
「もがいて、苦しんで、悩んで。諦めてしまったものには、止まってしまったものには決してわからない感情だよ。あなたは動き続けてるじゃないか」
「そうかな」
いかにも、がっかりという面持ちで、トトは呟いた。
「昔、私とあなたが桜の下で話したこと覚えてる?」
「ああ、よく覚えてるよ」
それは、二人が悩みながらも結ばれてすぐのこと。
満開の桜を見ていたトトが、父と母、子の家族を見ていた。
同性同士である二人には、どこか遠い光景だった。
ジュールはその時に言ったのだ。
「まだ見ぬ幸せなら、私たちで作っていこう」
・・・・
「幸せとか人生なんて、どちらが先でどちらが後かなんてわからない。
私とあなたが一緒になったのは10年前だとしても、今あなたは泣いている。この先、10年後に出会う知らないカップルが、笑いあっていたとしても」
「いじわるをいう!」
トトは、ジュールの冗談をかわしながら思った。
私は、今とても満たされている。
この人と出会い、話して、生命の奥から、とてもこれ以上は何もいらないくらい。
崩れかけた足元も忘れるくらいに。
本当に大事なものは常にここにあった。
「自分が本当に願うことを忘れなければ大丈夫・・・」
トトは、例の小冊子を枕元において寝た。
この本を気に入っている理由は・・・。
そんなことを考えながら。
ーおわりー
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あとがき
トトがこの本を気に入っている理由は私にもよくわからない。
自分の好きな他愛のない本ってありますよね。
別に名作でもないんだけど、ずっと手放したくない一冊。
内容も古いんだけど、どこかほっとするような。
この話のイメージソングは「21世紀の恋人」☆いい歌だ。。

